第85回トビタテ!起業家インタビュー第1弾:佐々翔太郎さん(前編)【ミャンマーの子供たちに希望の光を】

2021年8月30日

みなさんこんにちは!トビタテ10期の内木です!今回からトビタテ出身の起業家へのインタビューをし、起業して苦労した点や学んだ事、トビタテ生へのメッセージなどの記事を載せる予定です。

目的としては、起業や何か行動を考えているトビタテ生の後押しとなるような記事を更新し、トビタテ生の成長を促し、トビタテコミュニティの拡大、社会へのより大きな価値提供をできればと思います。

記念すべき第1回目は、ミャンマーでオンラインキャリア教育事業を起業し、Facebookで100万いいねをもらうまでサービスを成長させた6期の佐々翔太郎さんにインタビューさせて頂きました!

前編は事業概要や事業を始めるきっかけ、一番辛かったことなどを聞いてきました!

ぜひ最後までご覧ください!

トビタテ留学ジャパンでの留学

国:ミャンマー(チン州)
期間:1年(ミャンマー自体には2年滞在)
期、コース:6期、新興国コース
内容:e-Educationのミャンマー支部で5代目プロジェクトマネージャーとして映像教育の普及に尽力ミャンマー初のキャリア教育・進学メディアLive the Dreamを創業

自己紹介

内木:初めまして!本日は緊張していますが、よろしくお願い致します!

佐々:よろしくお願い致します。

内木:まず自己紹介をお願いします。

佐々:はい、トビタテ6期で、中央大学在学中にミャンマーで起業し、現在はリクルートでじゃらんの営業をしてます。

現地での起業内容

内木:そうなんですね!今はリクルートで働かれているんですね!次にミャンマーでの起業内容をお伺いしてもいいですか?

佐々:当初ミャンマーでは元々NPO法人e-Educationの現地責任者として映像教育を地方の公立学校に広めるプロジェクトに参画していました。言わばミャンマーの若者の学習環境を整える事業に注力してたんですね。でも、活動を通して見えてきたのは現地の若者達の学習意欲の低さでした。浪人生なのに勉強時間が1日4時間程度だったりして、本当の問題は『教育環境』じゃなくて、むしろその背景にある若者が抱く『未来への不透明感』なんじゃないかと。

そこでその問題を解決するために自らの団体”Live the Dream”を立ち上げ、事業化することにしました。この事業では若者のモチベーションに喚起することを狙いとし、彼らや彼女らの憧れる有名人を取材して映像化し、そのロールモデル達の生き様や仕事のやりがいをインターネットで伝えました。それは私が昔、苦しい家庭環境からでも、先人の生き様を伝えるドキュメンタリー動画を見ることで、「明日もまた頑張ろう」と未来に希望を見出した原体験がきっかけでした。現在では100万のFacebookいいね数を獲得し、多くのミャンマーの若者の支持を得るマスメディアに成長しました。

私自身はこのLive the Dreamをトビタテの先輩である土肥眞麻さんに引き継ぎ、現在は日本でミャンマー起業中に感じた自分の力不足を補うために修行をしつつ、ASEAN HOUSEという東南アジア人と日本人が一緒に暮らすシェアハウス事業を展開しています。

(ミャンマーの子供達の授業風景)

そもそも、なぜミャンマーへ?

内木:100万いいねは凄すぎます。。。!流石です。ところで、佐々さんはそもそもどうしてミャンマーへ行かれたのですか?

佐々:一言で言えば、人生失敗続きだったんです。「失敗続きの人生を変えたい」そんな思いで突っ走って来た気がします。実は大学入学までの人生は、高校野球に大学受験と失敗だらけでした。

もちろん大学生活も当初は下ばかり向いて偉そうに「こんな大学来るはずじゃなかった」とか思ってました。(笑)

でも何とかして失敗ばかりの人生を変えたい。いや、正確に言えば自分の失敗を嘲笑って来た人たちを見返したいっていうネガティブな感情だったかもしれません。とりあえず何かで取り返したいと思っていた矢先、サークルの可愛い先輩がフィリピンに行っていたと耳にしました。「自分もフィリピンに行けばこの先輩とちょっと仲良くなれるんじゃないか?!」そんなバカな考えも入り乱れ、とりあえずフィリピンに行きました。(笑)

そのひょんなことから訪れたフィリピンでは、裕福とは言えない中でも毎日満面の笑みで一瞬一瞬を懸命に楽しく暮らす子ども達に出会いました。そんな子ども達とは対照的に、過去のちっぽけな失敗を気にしてうじうじしている自分のちっぽけさに気付かされ本当に情けなくなりました。「とりあえず、毎日一生懸命、明るく生きよう!!!」

一方で子ども達の笑顔の裏側にある悲惨な現状も目の当たりにしました。「大事なことを教えてくれた大好きなフィリピンで起きている問題を何とか解決したい!」その時僕はそう思いました。

このフィリピンでの経験がきっかけで国際協力に興味を持ち、その後は世界約20カ国を渡り歩いたりマイクロファイナンスについての研究に専心、帰国後にふとしたきっかけで受けたNPO法人e-Educationのインターンではミャンマー赴任になり、ミャンマーへと渡ったという流れです。

(フィリピンの子供との写真)

起業で一番大変だった事

内木:壮絶でしたね…次はミャンマーでの起業の事についてお伺いしたいです!トビタテ留学で海外の起業なんて何もかも大変だと思いますが、その中でも1番大変だったことは何ですか?

佐々:1番辛かったのは、仲間が離れていくことでした。いわゆるストライキを食らいました。他にも殺害予告されたり。

内木:そんな大きな問題が起きたのですか…そんな大きな問題をどうやって乗り越えたのですか!?

後編へ続く