第174回:~はじめての留学特集 vol.10 ~「『留学に行ったこと』が人生のキーポイント」高田浩気さん
2021.06.29
「海外初チャレンジ枠」で留学したトビタテ生を取り上げて,留学の動機や留学中の話,そして,留学が与えた影響に関して紹介する「はじめての留学特集」。
第10回は,大学7期でニカラグアとコスタリカに留学した高田浩気さんです。ゼミの先生の一言で決めた留学,すべてボランティア活動にささげた留学の話,そして,帰国後に感じた変化を聞きました。
【インタビュアー:青山実央(事務局インターン,大学12期)】
目次
今回のトビタテ生
名前:高田浩気
トビタテの期・コース:大学7期・多様性人材コース
留学先:ニカラグア・コスタリカ
留学テーマ:現地NGOから学び・行う実戦的な教育活動
大学では,スポーツ教育学科に在籍し,体育の教員免許を取得している,留学は4年生の秋学期から1年間留学し,すべてをボランティア活動に捧げる。現在は,人材派遣会社勤務。
先生の一言がなければ留学には行っていなかった
― 留学に行こうと思ったきっかけはなんですか?
ゼミの先生が「一度でいいから海外に行ってみた方がいい」ってよく話していたんです。自分はスポーツ教育学科に属していたので,子どもたちに勉強とか社会を教えるにあたって,海外に行って視野を広げたほうがいいという先生の思いがあったようでした。それで,スタディツアーでカンボジアにボランティアとして参加しました。それが留学を決意した最初のきっかけでした。
カンボジアに行ったときに,平日の昼間なのに子どもがお店の手伝いをしている様子を見て,「まだ,児童労働に似た現状が残っているんだ」と思ったんです。カンボジアの学校に訪問した時も,目を輝かせながら勉強する子どもたちを見て,日本で学んでいる子どもたちとのギャップにびっくりしたんです。こういう貧しい国でも学びたくて勉強している子どもたちがたくさんいるのに,学ぶ機会がきちんと与えられていないのはどうなんだろうと感じました。そんな貧困に苦しんでいる子どもたちを助けたい,そして,学びたいと思っている子どもたちにきちんと機会をつくってあげたいって思ったんです。
そこから,1年間くらい途上国の状況を見てみたいなと思って,留学を決めました。
― ニカラグアとコスタリカを選んだ理由は何ですか?
自分は留学先を決める時に3つの譲れないポイントを決めたんです。1つ目は発展途上国であること,2つ目はスペイン語圏であること,3つ目に安全な国であることです。
スペイン語圏を選んだのは,自分が第二外国語として学んでいたスペイン語を伸ばしたいなと思っていたのと,将来に活かせそうで幅広くいろんな国で話されている言語ってスペイン語なんじゃないかなと思ってスペイン語圏を選びました。
それで,自分で協力してもらえる団体とかを探していくうちに,名古屋に「ニカラグアの会」っていう団体があることを知ったんです。そこからニカラグアの存在を知って,調べていくと自分が求めていたポイントに当てはまっていたので,ニカラグアに留学を決めました。
実は,最初はニカラグアだけ訪問しようと思っていたんです。でも,反政府デモが起きてしまって,強制帰国してしまいました。そこで,違う国も見てみようと思って計画変更をしました。
そこで,コスタリカに決めたのは,留学前にボランティアで日本のNGOに関わっていて、そのNGOの支部がコスタリカにあったので,再留学先に隣国のコスタリカを選びました。
― トビタテを知ってから,応募しようとおもったきっかけは何ですか?
大学3年生の秋学期に,トビタテ2期生の方が講師の授業を取っていたんです。その授業の中でトビタテの話が出てきて,知りました。支給型の奨学金っていうところが自分の中では応募する大きな要因でした。世界的に有名な大学に留学するとかだったら,もしかしたら,もっとたくさんの種類の奨学金があったと思うんですけど,自分が行こうとしていたところはボランティア団体だったということもあって,無償の活動をしながら,生活もしていくって考えたときに,給付型の奨学金は魅力的でした。応募したのは大学4年生の時だったので,自分のなかでは最後のチャンスでした。
― トビタテに応募する以前には,長期留学を考えたことはなかったんですか?
3年生の秋までそんなことを考えたことはなかったです。ゼミの先生に「世界に出た方がいいよ」って言われて,「行ってみようかな?」ってカンボジアに行くまで自分の中で留学っていう選択肢はありませんでした。ほんとにあの一言ですべてが変わりました。その言葉に影響されて,実際に行動した自分が結局いろんなことを変えたかもしれないですけど,その一言がなければ留学には行っていません。
ボランティア留学,そして,反政府デモの発生
― ニカラグアではどんな生活をしていたんですか?
ニカラグアの首都マナグアにある現地のNGO団体の活動に同行していました。この団体は初等教育・保健・宗教行事など幅広い活動をしていました。そして,そのNGOの協力団体だった別のNGOでもボランティアをしていました。その団体が運営している「夜間女性学校」に主に関わっていました。ニカラグアはジェンダーの差が激しい国だったので,女性が教育を受けられない現状があったんです。そのような女性のための学校で活動していました。
あとは,その夜間女性学校を運営している団体のスタッフの紹介で教員養成学校の体育の授業のアシスタントをしていました。自分が体育の教員免許の取得予定だったので,それを知ったスタッフの方が紹介してくれました。
― 夜間女性学校ではどんなことをしていたんですか?
教育実習生みたいな感じで,授業の様子を見学していました。あとは,授業の風景の写真を取ったりしていました。NGO団体の活動を通して,現地の教育やボランティア活動について知るっていう活動をメインに行っていました。
― 教員養成学校ではどんなことをしていたんですか?
授業のアシスタントをしていました。それに,実際に自分でも授業を行いました。保健体育の授業で,ちょっと体を動かしたり,みんなで球技をしたりしていました。その教員養成学校は小学校教員を目指している人向けの学校だったので,スポーツ技能を教えるっていうものよりも鬼ごっこみたいな簡単な運動を通して,この運動ではこういう能力が身につくっていうことをメインに教えていました。この学校は国が運営している機関だったので,そこにボランティアとしてでも関わることができたのはすごいことだなと今でも思っています。海外で教師として,授業をするなんていう経験は滅多にできないなと思って二つ返事で引き受けました。もし,この話がなかったらこの留学は成功していないかもしれないので。ちなみに,ここで後にお世話になるJICAの方に出会うこともできました。
教員養成学校の様子
― コスタリカではどんなことをしていたんですか?
自分がいた団体は食糧問題,飢餓に対してアプローチしている団体で週に1回ホームレスへの炊き出しを行っていました。自分もそこにサポートとして参加していました。あとは,子どもたち向けに無料のサッカー教室も運営していたので,そこで子どもたちにサッカーを教えていました。
― 留学中でしか体験できない印象的な出来事はなんですか?
JICAの方と知り合うことができたのはとても印象的でした。JICAが現地で開催しているイベントには毎回参加していましたし,国際支援などを仕事にしている現地のスタッフの方と交流を持てたのは本当によかったです。コロナ禍以前には東京でニカラグアに派遣されていたJICAの方との飲み会に誘っていただけることもありました。それくらい今でも続く関係性を築けたのは留学にいってよかったなと思います。
それに,ニカラグアでの反政府デモは忘れられないです。ニカラグアは治安がいいと言われていた国だったので,誰も反政府デモが起きるなんて誰も想像をしていませんでした。そんな国でも,こんなに急にデモが起きてしまうんだと思いました。政情不安に関しては,若者が中心だったので,大学も封鎖され,のちに道路も封鎖されてしまいました。自分は道路が封鎖される前にJICAの方にも助けていただきながら首都に移動しました。現地にいる日本人スタッフの心の中には首都は人が多いので,デモが起こりやすいけど,このまま地方にいると逃げられなくなるかもしれないっていう葛藤があったと思います。制圧するために銃や催涙弾が使われていて,市民もゴム弾や花火,石で応戦するっていう状況でした。今までのニカラグアでは想像できないくらい壮絶でした。ニカラグアに滞在していた最後の1,2ヶ月は現地の様子を見ながら,どうなるんだろうと思っていて,最終的には帰国を決断しました。この出来事は個人的には忘れられないですし,今後の生活にも影響を与えています。
留学当時から変わらない思い
― 帰国後に起きた変化はありましたか?
中南米の2ヶ国,しかも隣国に留学したことで学んだのは,政治って大事だなということです2ヶ国とも衣食住や文化的な部分は似ているんです。でも,ニカラグアに比べて,コスタリカは人権や自然環境を重要視している国でした。コスタリカには観光資源もあったので,豊かでした。それに,ニカラグアでデモが起きたときも,ニカラグア人の人権を守るために,コスタリカは国境を開けて,ニカラグアからの避難民を受け入れていたんです。政治によってこんなにも国の様子って変わるんだなと実感しました。なので,ちゃんと選挙に行くようになりましたかね。自分の行動も政治に関わっているんだと思うようになりました。
それに,家族の大切さに気づきました。ニカラグアが家族を大切にする国柄だったていうのもあるんですけど,留学中に自分の家族の支えも大きかったなと思っています。留学中にカードが磁気不良で使えなくなってしまったんです。その時は日本の家族に海外送金してもらって事なきを得たんですけど,家族も海外送金が初めてのことだったので,大変だったようで,迷惑かけたなと思ったのと同時に,家族が助けてくれていなかったらどうなっていたんだろうと思います。
あとは,留学から帰ってきた人が多く感じていると思うんですけど,多角的な視点を持てるようになったかなと思います。日本だと,たくさんの国の人と接する機会ってないと思うんです。特に,学校現場だと,見た目で判断して接し方を変えてしまう学生や先生もいると思います。自分も潜在的に,見た目で判断していた部分もあったのかなと今では思っています。言葉や行動に出すことはしなかったんですけど。日本だとやっぱり外国の人と接するって非日常な感覚がどこかにあったのかもしれません。留学した学校現場では見た目とかで区別されていることはなくて,マイノリティがどうとか関係ないんだなと思いました。
― 現在は一般企業に勤めているということですが,教員の道を選ばれなかったのは何か理由があったんですか?
教員になるかどうかは,留学前から悩んでいました。これはすごく個人的な考えなんですけど,学校っていうのは子どもたちと社会をつなげるコミュニティだと思っています。その学校にいる教員が社会を知らないってどうなんだろうって思ったんです。新卒で教員になっても,子どもたちに教えられることに限界があるんじゃないかなと思っていました。中学校,高校にいる子どもたちって全員が進学するとは限らないじゃないですか。専門学校に行ったり,就職する子もいるかもしれない。そんな選択を選んだ子どもたちに何を教えられるんだろうって考えていたんです。なので,一度サラリーマンとして社会で働いてみたいなと思いました。教員の道をやめたのではなく,いつかは教員の道に戻ることも考えています。
留学前はまだ,モヤモヤしてどうしようか悩んでいたんですけど,留学して吹っ切れました。もっと社会を見てみたいと思ったんです。むしろ,遠回りをして社会人になってから,経験したことを子どもたちに伝えられた方が,有意義なんじゃないかなと思います。
― 高田さんの今後の展望やVisionは何ですか?
今の仕事は留学生の就職支援をしているんです。留学生の就職のお手伝いだけではなく,企業向けに留学生の現状とか大学がどんな支援を行っているのかっていうことを伝えるセミナーを開催したりしています。
今でも,貧困に苦しむ子どもたちだったり,マイノリティとされる人たちを助けたいという気持ちは留学当初から変わっていないので,将来的には,自分の今の仕事やビジネスを通して社会課題の解決に貢献していきたいなと考えています。それに,自分の届く範囲でさらに社会的支援をしていきたいなと思っています。
― 留学を夢見る学生へのメッセージをお願いします。
夢中になれることを探して,そこから生まれてくる夢とか,もともと持っているか叶えたい夢とかのために,いろんなことに挑戦してほしいなと思います。それは留学だけではないと思います。自分自身は留学がキーポイントとなって,人生が変わったんですけど,それだけの要因ではないんです。自己成長するために日本でできるいろんなことに挑戦し続けて,たくさんのことを吸収していってほしいなと思います。そのきっかけが留学だったり,トビタテだったら,1人のトビタテ生としてうれしいなと思います!
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