とまりぎ とまりぎ ートビタテ生の拠り所、トビタテ生の和を作るー

第214回:~社会人トビタテ生の留学する前と後特集 vol.9~「大きな夢を持った子どもたちとの出会いをきっかけに」潟中弘貴さん

青山実央【事務局インターン,大学12期】

青山実央【事務局インターン,大学12期】

2022.02.01


 学生時代にトビタテで留学した社会人を取り上げて,現在のキャリア選択のきっかけや「留学」がその後の人生にどのような影響を与えたのか紹介する「社会人トビタテ生の留学する前と後」特集。
 第9回は大学6期でイタリアと南アフリカ共和国に留学した潟中弘貴さんです。大学に入学してから難民支援に興味を持った潟中さん。そんな潟中さんが留学中に感じたのは難民の皆さんのパワーでした。帰国後には,アフリカの若者の力になりたいと人材系の会社に就職。しかし,そこで感じた現実と新たな思いを胸に転職を決意しました。
【インタビュアー:青山実央(事務局インターン,大学12期)】

今回のトビタテ生

名前:潟中弘貴
トビタテの期・コース:大学6期・多様性人材コース
留学先:イタリア・南アフリカ共和国
留学テーマ:難民移民政策のスペシャリストになり,難民の子どもたちの夢や希望を叶えられる世界にする

 大学時代にアフリカを中心に起業家プラットフォーム立ち上げや国際開発インターンなど複数経験。卒業後は,人材系の会社に入社。IT人材特化の転職支援を行う部門に配属され,チーム立ち上げや中途採用の法人営業として幅広い業界の採用支援を行う。その後,教育と地方創生分野への想いを捨てられず2021年8月に株式会社FoundingBaseへ転職。Education Div. Directorとして,山口県美祢市で中学生向け公設塾「mineto」の立ち上げに従事。

この子たちが社会を変えて,国を変えていく

― 留学前はどのようなキャリアプランを考えていましたか?

  漠然と起業したいと思っていました。留学前から難民に対しての問題意識を持っていたので,日本で難民の方と日本人が共存できる街づくりや国づくりをしてみたいと思っていました。

 

― 難民支援の分野が学べる大学や学部を選んで進学されたんですか?

 そんなことはないですね。サッカーと勉強ができる大学ということを基準に選んでいて,入学前はサッカーができればいいと思っていました。大学入学後は,サッカー部に所属してサッカーに打ち込んでいました。でも,国際関係の授業を受けたり,難民について学んだりしたときに「もっと学びたい」と感じました。その心境の変化をきっかけに,大学2年生のときにサッカー部を辞めて,本格的に難民について学ぼうと決めました。

 

― 留学しようと思ったきっかけは何ですか?

 大学の授業と先輩のアドバイスがきっかけです。その授業を担当していた教授はマイノリティや難民支援のことを専門にされている方で,自分が知らない世界をたくさん見せてくれました。自分は静岡県の田舎出身で,世界のことをあまり知らなかったこともあり,すごく興味を持ちました。それに,自分が難民支援を学び始めた頃と同じ時期にパリで同時多発テロが起きて,たくさんの難民の命が奪われました。
 そのときの自分は問題意識はあるけど,論文を読んで議論するという形で関わっているだけで,難民支援を学んでいるという実感を持ちにくいと思っていました。
 その思いを先輩などに相談したときに「だったら,留学に行きなよ」とアドバイスされて,留学しようと思いました。

 

― 留学中はどのようなことをされていたんですか?

 イタリアに2ヶ月間,南アフリカ共和国に6ヶ月間滞在していました。
 イタリアでは主に,中東やアフリカの難民の方の支援をしていました。教会に住んで難民の方と衣食住をともにしながら,英語を教えたり,日本文化を発信するためのワークショップを開催したりしていました。アフリカから船でイタリアにやってきた難民たちの支援をする現場でボランティアをしたときは,本当に残酷な現場で心が痛かったです。でも,交流を通して、難民の子供たちはすごく素敵な夢を持っていることに気づき,逆に自分が勇気をもらうことができました。
 その後,Caminiという現地の人と中東やアフリカから逃れた難民の方が家族のように暮らす小さな町に移動しました。そこではサッカーや折り紙ワークショップ、クラウドファンディングで図書館兼ネットカフェの立ち上げをしました。現地の方が現地の食材を使って朝昼晩と食事を振る舞ってくれて,たくさんのボランティアと共に過ごしていました。
 南アフリカ共和国では,タウンシップというアパルトヘイト時代に強制的に住まされた黒人の子孫が暮らす絶対的貧困地にあるNGOで国際開発インターンをしました。最初の3ヶ月にお世話になったNGOはスタートアップのような組織で,インフラがほぼ整っていませんでした。そこでは,webサイトをインターン生と共に作ったり,サッカーチームを立ち上げたりしました。
 その後,2ヶ月間別のNGOで活動しました。そこでは,5000人の子供たちを対象にクリスマスパーティーを企画し,クラウドファンディングでは80万円ほど集めることに成功しました。その集めたお金で子どもたちが夢を持つきっかけとなるようなプレゼントを買いました。このプロジェクトが留学生活の中で1番大きなものだったんじゃないかなと思います。他にも,現地の主婦たちが自分でお金を稼げるように,ビジネスのノウハウと折り鶴のアクセサリー作りを教えるワークショップを開催しました。
 出会った南アフリカの子どもたちはとても意欲的で英語をしゃべりながら話しかけてくれました。この子たち1人1人が社会を変え,国を変えていくことを感じて,このときから,教育という分野にとても興味を持ちました。


南アフリカ共和国での活動の様子

大きな夢を持った子どもたちとの出会いをきっかけに

― 留学後に,キャリアや将来に関する考え方の変化はありましたか?

 すごく変化がありました。教育的な観点で自分も学び,楽しみながら,最終的に難民の方や世界の貧しい方たちを助けられるような仕事ができるようになれたらいいなと思うようになりました。
 留学するときは国際問題を解決したいという思いで留学していました。でも,留学に行ってみると,自分が学ぶ立場になることが多かったんです。
 留学中に,難民の方たちへのインタビューをしていたときがありました。そのときに,自分よりも若い中学生や高校生くらいの子どもたちがすごく大きな夢を持っていることを知ったんです。「4ヵ国語話せるようになりたい」「大きな家を建てて,10人くらいの子どもたちを養いたい」「大統領になりたい」というような日本の子どもたちがあまり言わないようなことを真剣に覚悟を持って,話してくれました。そんな子どもたちを見ていて,自分たちが勝手に「難民は貧しい」というレッテルを貼っていただけなんだということに気づきました。

 

― 最初のキャリアにはどのような会社を選ばれたんですか?

 人材のビジネスモデルはアフリカでも通用するのではないかとおもい,人材系の会社に就職しました。アフリカの若者たちに就職の選択肢をネットなどを通じて与えることによって,自分でやりたい仕事を選べるという環境をアフリカで作りたいと思っていました。

 

― 人材系の会社を選んだ決め手は何ですか?

 最初のキャリアを選ぶ軸として,これからアフリカに行ける会社ということを重視していました。でも,JICAや総合商社のように拠点がすでにあって,インフラやものを通じてアフリカと関わっていくような仕事は自分のやってみたいこととは離れていると思っていました。なので,この先,アフリカに拠点を置けるような会社で教育的な観点から人と関われるようなことができる会社を選びました。

 

― その会社ではどのような仕事をしていたんですか?

  入社する前は海外事業部でアフリカ支社を立ち上げるために頑張ろうと思っていたのですが,コロナの影響で海外事業部の縮小が決まってしまいました。なので,エンジニアとデザイナーの転職支援をする仕事を担当していました。法人営業という形で100社くらいの採用をコンサルティングしていました。

 

― 転職を決めたきっかけは何ですか?

 人材のビジネスモデルの中では,自分のやりたいことができないと思ったことです。
 人材のビジネスモデルって優秀な人をその人に合っている会社に紹介をして,会社からお金をもらうモデルなんです。なので,そもそも内定をもらえるような優秀な人しか仕事の対象にならないんです。優秀な人を対象にしてどんどん仕事を紹介していきますが,自分たちの持っている仕事に合わない人は対象にしません。
 自分がやりたかったことは,もともと選択肢がなくて困っている人や,選択肢があっても自分で意思決定ができない人を助けることでした。なので,内定がでそうな人だけを対象にして仕事をするということは自分にとってはすごくもどかしかったですし,やりたいことではないなと働きながら思っていました。初めて人材のビジネスモデルの中で働いてみて,何か違うなと思うようになりました。

学びの楽しさを伝える

― 今はどのような仕事をされているんですか?

 今は中学生を対象にした公設塾「mineto」の立ち上げと運営をしています。自分は塾長として勤務しています。
 自分が運営している塾は山口県美祢市というところにあって,学力の向上や受験対策を目的にしているわけではありません。「塾だけど塾じゃない」をコンセプトに子どもたちの好奇心を育んで,挑戦してもらうことを大切にしています。勉強を教えることも個別サポートで行うこともありますが,それよりも,学び方や学ぶことの楽しさを伝えることが大きな仕事です。学校では習わないようなテーマを用いて,話題を深堀りながら教えたり,地域の方や地域の企業とコラボして3ヶ月から半年くらいのプロジェクト型のプログラムを作ってこどもたちと一緒に運営したりしています。宇宙のことを教える授業では,望遠鏡を使って土星を観察したこともあります。
 子どもたちの興味を深めたり,好奇心が揺さぶられるような授業をしています。

公設塾「mineto」のメンバーとの1枚

― その仕事を選ばれた決め手は何ですか?

 3つほど大きな理由がありました。
 1つ目は海外に行けない分,まずは日本の困っている人たちを教育的観点からサポートしたいと思ったからです。転職を考えていたときに,教育は自分の心からやりたいことだと思いました。なので,ポテンシャルのある子どもや10代を対象に価値提供をしたいと思いました。
 2つ目は地方で働いてみたいと思ったからです。人混みが苦手で,満員電車に乗って通勤するのも嫌だったんです。都会が苦手ということもあって,地方で働いてみたいと思いました。
 3つ目は,前職は持てる仕事の責任がすごく狭かったんです。1000人以上の社員を抱えている会社で,自分のやっている仕事って小さいなと感じてしまいました。自分が入社する前に想像していたよりも,ベンチャー企業としては大きい規模の会社だったんです。なので,もう少し小規模の会社で,少人数だけど自分が担える仕事は大きいというような仕事に挑戦したかったんです。
 この3つの要素を考えた結果,FoundingBaseに転職しました。

 

― 働いていて,学生時代のイメージと違ったと思うことはありますか?

 人材のビジネスモデルとベンチャー企業のイメージについては学生時代の自分では想像できなかった部分だと思っています。ですが,「働くこと」に対して,イメージと違うと思うことはあまりなかったかもしれません。学生時代に何個かインターンに参加したこともあったので,企業で働くということは周りの社員の方をみてイメージできていたのかもしれません。

 

― どんなインターンに参加していたんですか?

 障がいを持っている方向けのサービスを作っている会社やactcoinという社会貢献やSDGs推進に関するアクションを起こしている人に仮想通貨を提供している会社でインターンをしていました。

 

― インターンされていた会社に就職しようとは思わなかったんですか?

 あまり考えていなかったかもしれません。
 障がい者向けのサービスを提供している会社にいたときは,身近に障がいを持っている方がいなかったということもあり,ユーザーの顔やサービスを提供した後の想像ができなくて,関わり方が分からなくなってしまうときがありました。障がい者支援に興味のある方が関わった方がより良いサービスが提供できるんじゃないかと思っていました。
 actcoinを運営している会社は,自分がインターンしていた当時は関わっている会社や個人も多い方ではなくて,この先長くこの会社で働けるのかと考えたときに不安を感じたのかもしれません。でも,面白いサービスだと思っていたので,ボランティアとして関わったり,アクションを起こしている人を応援する立場として関わり続けたいなと思いました。

 

― 働いていて,留学経験が活かされていると感じることはありますか?

 この場面で留学経験が活きたっていう出来事にはまだ出会えていませんが,自分の考え方の根本が留学したことによって変わっているんじゃないかなと思います。
 留学に行ったことによって,当たり前が当たり前ではないんだと思えるようになりました。たぶん,日本でしか生活したことがなかったら,日本で起きていることが当たり前で,世界のことも知らないままだったと思います。でも,留学生活を通じて,世の中にはたくさんの不条理があるということを知ったからこそ,当たり前に対して疑問を持つことができているんじゃないかと思います。

 

― 留学経験以外で学生時代に経験しておいてよかったことはありますか?

 もっと本を読んでおけばよかったなと思っています。たぶん,今の方が学生時代より本をたくさん読んでいると思います。
 あとは,地元を見つめなおす経験をしたかったです。地元が好きでしたが,何か貢献したり,コアな部分を知ろうとしたりせずに東京に出てしまったので,もっと地元のことを知っておきたかったなと思っています。
 最後は,Webデザインとかプログラミングを勉強してみたかったなと思っています。その2つのスキルを持っている友達を見ているとかっこいいです。それに,パンフレットとかロゴのデザインとかができたら,今の仕事にも活かせるとおもいます。今からでも勉強したいです。

 

― 今後実現したいこと,やってみたいことは何ですか?

 「地域×教育」をテーマに今運営しているような塾を全国に展開していきたいです。美祢市の子どもたちには面白い体験をしてもらえるような環境作りができています。ですが,全国の子どもたちには,まだ届けることができていません。全国にも勉強の楽しさを知りたい子どもたちはたくさんいると思います。まず,20代のうちはこの取り組みを全国に広げていくことに全力を尽くしたいと考えています。

― 最後に,学生時代の自分にメッセージを送るとしたらどんな言葉をかけますか?

 そのままでいいよ,突き進め!
 と声をかけると思います。
 自分は今が楽しいという状況をいかに作れるかということを常に考えてきました。変に悩んだり,ネガティブに考えたり,状況を悲観的に捉えたりすることはしなくていいと思っています。なので,自分が自信を持って前に進めるような言葉をかけたいと思います。

 

編集後記 ー1日をいかに大切にできるかー
 「将来どうなっているか分からないですよね。だって,明日何やってるかも,どうなっているかもわからないんですもん」
その言葉を聞いたとき「あ,こういう人が自分の夢を実現していくんだ」と思いました。明日何やっているか分からないから,勢いで生きていこうっていうわけではなくて,明日何やっているかわからないから,どうやって今日を後悔しないように,楽しく生きるのか。
そんな後悔のない生き方を重ねていった先に,夢の実現があるんだと思いました。
次回は,高校・大学の非常勤講師やNPO団体の職員などのパラレルワークを経験後,大学教員になるトビタテ生のキャリアを紹介します。

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