とまりぎ とまりぎ ートビタテ生の拠り所、トビタテ生の和を作るー

第217回:~社会人トビタテ生留学する前と後特集 vol.10~「好きなことを本音でし続ける」土屋みなみさん

青山実央【事務局インターン,大学12期】

青山実央【事務局インターン,大学12期】

2022.02.15

 学生時代にトビタテで留学した社会人を取り上げて,現在のキャリア選択のきっかけや「留学」がその後の人生にどのような影響を与えたのか紹介する「社会人トビタテ生の留学する前と後」特集。
 第10回は大学1期でドイツに留学した土屋みなみさんです。将来のキャリアに悩んだことをきっかけに留学を決意した土屋さん。留学後には,今まで考えたことのなかった進路である博士課程への進学を決意しました。その後は博士課程まで学び続けてきた分野とは違う分野でのスタートを切りました。
【インタビュアー:青山実央(事務局インターン,大学12期)】

今回のトビタテ生

名前:土屋みなみ
トビタテの期・コース:大学1期・多様性人材コース
留学先:ドイツ
留学テーマ:ビジネス&工学で日本とドイツの架け橋に

山形大学工学部応用生命システム工学科在籍時に,1年間休学してドイツへ留学。2021年3月に山形大学大学院理工学研究科博士後期課程修了,山形大学大学院理工学研究科/有機材料システム研究科博士課程教育リーディングプログラムフロンティア有機材料システム創成フレックス大学院修了。2021年4月から社会人1年目となり,山形県米沢市内にある私立高校の非常勤講師、筑波大学非常勤講師、トビタテでの留学前に立ち上げから携わっているNPO法人AYINA(アイーナ) ,山形大学研究支援者などのパラレルワークを経験。2022年度4月から相模女子大学人間社会学部社会マネジメント学科専任講師に着任予定。

将来のキャリアに悩んでいたときに,トビタテと出会う

― 留学前にはどのようなキャリアプランを考えていたんですか?

 小学校5年生から高校3年生までは国境なき医師団に入りたくて,医者を目指していました。ですが,学部3年生で就職活動が始まる頃には、どうしたいのか分からなくなっていました。公務員試験講座を受けたり,就職活動の序盤の波に乗ったり,大学院進学を考えたり,青年海外協力隊の道に進むことも考えたりしていましたが,留学前は将来のキャリアについて明確な目標はありませんでした。
 医者を目指したきっかけは,小学校のときの総合的な学習の時間で受けた「世界の子どもたちの今」という授業です。5歳以下で亡くなる子どもたちの数の多さを知り,そんな子どもたちの力になりたいと思い,国境なき医師団に入ることが将来の夢になりました。高校生の頃までその夢は変わらず,現役では医学部に合格しなかったので,浪人をしました。
 ですが,医学部へは浪人しても点数が届きませんでした。2浪する気はなかったので,工学部応用生命システム工学科に進学しました。入学時は,高校の先生や予備校でお世話になった先生方の勧めでなんとなく「大学院に進学する」と考えていました。

 

― 応用生命システム工学科ではどのようなことが学べるんですか?

 CTやMRIに関連する研究を行ったり,脳の仕組みを工学的にシミュレーションしたり,遺伝子解析をしたり,生命に関することと工学系の研究が組み合わされたようなことが学べる学科でした。ずっと医学部を目指していた自分に近い分野が学べるところを,予備校の校長先生が紹介してくださったんだと思います。

 

― 浪人した当初から浪人して医学部に入れなかったら,医者の道は諦めようとおもっていたんですか?

 最初は何回浪人しても,医学部に入ろうと思っていましたが,浪人生活を経験してみると「もう伸びしろがないかもしれない」と思ったので,やめました。
 浪人した年のセンター試験の結果は,医学部を受けられるほどの点数ではありませんでした。そこで,前期日程では看護学部の試験を受けましたが,合格しませんでした。このときの私には,後期日程しかチャンスが残っていませんでした。その後期日程で工学部を受けて,合格をいただいたので,入学しました。

 

― 大学進学後に医者になりたいと思うことはなかったんですか?

 なかったです。学年が上がるにつれて,私には医者は務まらないと思うようになりました。受験の時に工学部を受けると決めてよかったと思っています。

 

― 留学しようと思ったきっかけは何ですか?

 トビタテとの出会いがきっかけです。国境なき医師団を目指していたこともあって,小学生の頃から「海外で働いてみたい,留学してみたい」という漠然とした思いはありました。でも,長期で滞在するとお金もかかるし,経済的に厳しいのではないかと思って,断念していました。そんなことを考えながら,進路に迷っていた学部3年生のときにトビタテを知ったんです。
 トビタテと出会ってやっぱり海外に行きたいと思って,留学に行くことを決意しました。でも,研究留学などではなくて,海外で働いてみたいという思いが強かったです。
 どうしても海外インターンに行きたかったのですが,研究室に配属される前で,コネもなかったんです。そこで,当時,進路相談に乗ってくださっていた別の学科の先生に相談したところ,ドイツと繋がりのある別の学科の先生を紹介してくださいました。そのときに「これは行くしかない」と思って,トビタテでの留学を決断しました。

 

― どのような留学生活だったんですか?

 ドイツのザクセン州にあるドレスデンというところに9ヶ月間滞在していました。
 最初の1ヶ月は語学学校に通って,ドイツ語のスキルの向上をしていました。その後の8ヶ月間は,ザクセン州経済振興公社の*対内投資課でインターンをしながら,そのうちの6ヶ月間は並行してドレスデン工科大学での大学院用コース講義の聴講もしていました。
 ザクセン州経済振興公社は市役所の経済振興課のようなイメージです。ザクセン州にドイツ国内外の会社を誘致して,雇用を生み出すことを目指していました。会社の形態も半分公設,半分民間というものでした。従業員は40人くらいしかいませんでしたが,4人くらい工学系や技術系の博士号を持っている方がいらっしゃったと記憶しています。ドイツは自動車産業が盛んで,自動車関係企業の誘致が多かったんです。その博士号を持っている方が博士を取得する過程で得た経験を使って,ビジネスの商談やマッチングをしていました。博士号を持っていると,研究だけではなくて,学んだことを使って,ビジネスの分野でも活躍できるんだと、いい意味で驚いたことを覚えています。
 所属していた対内投資課では,日本やドイツの展示会に出たいという企業のアレンジをしたり,ザクセン州の紹介が載っているパンフレットを和訳して,日本企業に魅力を伝えたりする業務を行いました。企業が誘致されるということは,雇用が生まれるだけではなくて,居住する人が増えるということも意味しているので,日本企業にドイツを好きになってもらえるような工夫も心掛けていました。このような業務を当時の日本担当上司のドイツ人女性1人と一緒に二人三脚で取り組んでいました。
 英語もビジネスで通用する程できるわけではなかったので,商談のときには,ネットで検索しながら乗り切っていました。でも,その「英語を日常的に使っていない人の感覚」が役に立つときもありました。日本の方が商談に来たときに,私たちが言っていることがあまり理解されていないということを察することができていたんじゃないかと思います。話していて「ここが食い違っているな」とか「ここの理解はちょっと難しそうだな」ということが分かるので,日本の方に寄り添ったミーティングのサポートができていたんじゃないかなと思います。

*対内投資:外国人投資家が国内の事業や不動産,金融商品などに投資すること。日本国内では,アメリカや中国,ドイツなどの外国人投資家が日本国内の事業や不動産,金融商品などに投資することを指す。

ドイツでのインターンの様子

 ドイツ語は大学1年生のときに,第二外国語として勉強していましたが,留学が始まる頃にはほとんど忘れていました。仕事は英語で乗り切っていたんですが,日常生活はドイツ語でないといけない場面が多かったです。たまたまトビタテ生が近くに住んでいて,その子に助けてもらいながら,生活していました。最初の頃は1人でシャンプーも買えなくて,苦労したことを覚えています。当時はSIMフリーのスマホを持つという考えがなかったので家に戻って,単語を検索してから,またスーパーへ行くということもありました。今思えば,無謀な挑戦だったかもしれませんね。

トビタテ生との旅行先での写真

完璧主義でなくていい

― 留学後にご自身の心境の変化はありましたか?

  分からないことは恥ずかしいことではないと思えるようになりました。ドイツに行く前は,優等生で完璧主義者だったので,分からないと人に伝えるのが恥ずかしかったんです。でも,ドイツにいると常に分からないことだらけでしたし,誰かに教えてもらわないと何もできなかったので,分からないと伝えることに抵抗がなくなっていきました。
 もう1つの変化は,東北の魅力をもっと広めていきたいと思うようになったことです。私がトビタテで留学していたときは,名刺配りをするというミッションがあって,150枚くらい名刺を配りました。小さい頃は全国のいろいろな地域を転々としていましたし,高校までは秋田県にいて,1年間岩手県で浪人したあと,山形県の大学に通っていたので,自分のアイデンティティが何県にあるのかいまいち分かりませんでした。でも私は物心ついた時から東北以外に住んだことがなかったことに気づいて,名刺に東北出身って書いたんです。ただ、ドイツでその名刺を配りながら,「日本から来ました」というと「Tokyo?」「Osaka?」と聞かれることが多かったです。次第に「いやいや、日本はTokyo、Osakaだけじゃないよ!」と心の中で叫ぶようになりました。この経験から自分のアイデンティティは何県というよりは東北なんだと認識することができて,東北の魅力をもっと世界に広めたいと思うようになったんです。
 それから,自分がしたいと思う生き方,面白いと思う生き方をしたいと考えるようになりました。大学1年生の頃から,「周りがこういう風だから自分も同じ道を選ぶ」ということに疑問を感じていました。キャリアも有名な大企業だからとかなんとなくという理由で就職先を決めることはしたくないと思っていました。大企業に勤めている方を否定しているわけではなくて,むしろそういった方々に感謝と尊敬の念を抱いているのですけれど「自分の意思がきちんとその選択に反映されているのか」ということを重視したいと思うようになりました。だからこそ、大学3年生のときに進路に迷っていたのかもしれないです。特に,人生初のインターンがドイツだったので,より自分のやりたいことをしたいと思ったのかもしれません。

 

― ドイツの働き方はどのような感じだったんですか?

 働くために生きるというより生きるために働くという印象を受けました。インターン先では,毎週金曜日は13:00に仕事を終えて良いことになっていたんです。
 私が最後に請け負った仕事は、ドイツに支社などを持つ日本企業の担当者とドイツの産業界の方のコネクションを強めるための交流会の運営でした。日本だったらすでに予定が入っている場合,あとに来た約束をキャンセルしたり,時間を変更したり,どうにか参加できるように調整する人が多いと思います。でも,当日に運営側である私たちインターン先の男性の同僚が「家族の体調が悪くなって,僕が代わりに家事をすることになったから参加できなくなってしまった。」と言ってきたんです。私は家族の予定を優先できる職場環境ってすごく素敵だなと思いました。ドイツのワークライフバランスにはすごく憧れます。仕事も真面目にしますし,時間もきちんと守ります。でも,休みは取りやすいし,プライベートも大事にする働き方はすごくいいなと思いました。

 

― 留学後にキャリアに対する考え方の変化はありましたか?

 博士後期課程への進学を考えるようになりました。トビタテで留学する前は,進学するとしたら修士課程までかなと思っていました。工学部には,修士課程まで進む人は結構いますし,高校の先生や予備校の先生に、工学部に進むんだったら,修士まで持っておいた方がいいといわれていました。
 博士後期課程に進む選択肢を後押ししてくれたのは,ドイツで出会った2人の博士の方だと思います。私が持っていた博士像をいい意味で変えてくれました。
 1人は私がインターンをしていたところに勤めていた方で,私のホストファザーでした。工学博士でしたが,ビジネスの分野でも活躍していて,そんな多様性がいいなと思いました。
 2人目は日本人女性の方でした。物理学の博士号を持っていて,旦那さんの仕事の関係でドイツに来ていました。その方がドイツで就職活動をしていたときに,博士号を持っているということで想像していたよりも早くいい職場に出会えたと言っていたんです。その方から「今後どうなるか分からないって思いを抱えながら,国境なき医師団を目指し続けていたし,その思いが違う形となって,今はここにいるんでしょ?女性はどんな業界にいても,出産とか育児とかでキャリアが続けにくいということがある。だから,博士じゃなくてもいいけど,自分を客観的にブランディングできるものがあったほうが,いろいろな場面で活躍できると思うよ」といわれました。実際に,日本人女性で博士号を持っていて,ドイツで生活されている人からアドバイスをもらって,博士課程への進学を視野に入れたんです。
 理系はもともと得意ではなかったですし,当時はまだ学部生だったこともあり,研究が好きかも分かりませんでしたが,ノリと勢いで修士・博士5年一貫の特設大学院に進学することを決めました。その大学院は私にドイツに行くことを勧めてくれた先生が中心となって設立を進めていらっしゃったもので,実は留学に行く前から誘ってくださっていました。自分が博士課程に進むとは思っていませんでしたが,ドイツでの出会いを通して,博士号を取ると研究以外にも可能性があるんだと学んで,博士課程への進学を決めました。

 

― 留学後の心境やキャリアに対する考え方の変化にはトビタテ生やトビタテコミュニティの影響もありますか?

 とても大きいです。事前研修でトビタテ生と会ったときは,周りの情熱や専門性の高さと比較して,自分には何もないことに落ち込んでいました。「私は今までの大学生活で何をしていたのか」と思うくらいすごい人たちがたくさんいたんです。
 でも,だんだん「この人たちにはどう頑張っても追いつけないな」といい意味で思うようになって,完璧主義じゃなくていいじゃん!という思考回路になりました。この人たちに任せておけば日本の未来は明るいと思っています。
 それに,事前研修のときに支援企業の方から「好きなことの対象は変わっても,好きなことをし続けるという軸は変わらないで」という言葉をいただいて,深くなくても,広く浅くても好きなことをやっていけばいいんだと勇気をもらいました。この言葉は,今でも私の支えになっています。

本音で自分のやりたいことを

― 現在はどんな仕事をされているんですか?

 2021年3月に博士後期課程を修了して,山形県米沢市にある私立高校の非常勤講師,筑波大学の非常勤講師,トビタテで留学に行く前に立ち上げから関わっている「アフリカと日本をつなぐこと」「アフリカの方々によるアフリカを応援すること」をビジョンとするNPO法人AYINA(アイーナ)の職員,出身大学での研究支援者をしています。いわゆるパラレルワーカーです。

高校での授業の様子

― 1つの会社に就職する道を選ばなかったのは何か理由があるんですか?

 理由は2つあります。
 1つ目は博士論文の執筆と就活の両立がうまくいかなかったんです。気が付いたら修了していました。
 2つ目は,今の自分の性格や興味を考えると,あまり会社勤務に向いていないんじゃないかなと思ったからです。利益追求のための競争やプレッシャーがある中で働くことは,私には向いていないと感じました。学部生時代,入りたいと思う会社はあったんです。その会社はCSRで地雷撤去をしていて,そこに関わりたいと思っていました。ただ私がCSRの分野をやりたいと言ったら,入りたいと思っていた会社の人事担当の方から,「本来の会社の仕組み以外のところに興味を持っているなら,会社で働くことはあまり向いていないかもね」といわれました。この時,CSRは利益の再分配や世の中の経済を活性化させるという会社の目的を達成したうえで存在するものであって,会社としては優先度が下がり得ると理解しました。私自身,常に本音でやりたいことをやっていたいタイプだと思っていたので,そういう風に言ってもらえて,私の中でも会社で働くことは自分に合っていないと思えたのです。だから,教育の道を選んだのかもしれません。
 教育は成果が見えにくいし,お金も時間もかかる。だからこそ大事なことだと思っています。私はそういう10年でも20年でも時間はかかるけれど,未来を創ることをしたいと思いました。ある程度の親和性もあって、情熱をもって関われる場所が教育現場だったのだと考えています。

 

― そこから大学教員になろうと思ったきっかけは何ですか?

 関わっていきたいと思っていた教育現場でやりたいことが両立できる仕事に就きたいと思ったことがきっかけです。高校の教員はすごく楽しかったんです。でも,働いていく中で,本当に自分がやりたいことは,NPOの仕事だということに気が付きました。その仕事と,教科指導や生徒指導を通して生徒と関わっていく高校教員の仕事との乖離が想像していたより大きいと知ってしまったことへのモヤモヤを抑えきれなくなってしまったんです。働き始めた当初は,うまくバランスが取れなくて,高校に行きたくないと思うこともありました。生徒よりもゴールデンウィークを楽しみにしていたくらいです。
 大学生活を長く経験しているので,生徒指導がうまくできないときもありました。自分にとっては本質的でない,私が納得していないルールを生徒たちに守るように指導できないんです。自分が守ることはできます。でも,本音と建前がうまくできなくて,自分が納得していないことを人に指導すること,強制することが得意ではないのだと思います。我ながら未熟だなと思うのですが、それが,高校の教員になって1番しんどかったかもしれません。
 そこから,ライフワークであるNPOの仕事に近いことができる,もう一つの柱となるような仕事はないかと探していたときに,大学教員の公募を見つけました。

 

NPOの活動の様子

― 大学ではどのようなことを教えるんですか?

 相模女子大学人間社会学部社会マネジメント学科の専任講師として、NPOや地方自治,まちづくりや国際交流,統計に関することを学生と一緒に勉強していきます。この分野での公募を見たときに,私のライフワークと近いことを仕事にできるかもと思いました。
 普通だったら,工学博士なので工学系の学部で教員をするのだと思いますが,大学院生時代「こんなにできなくて、つらいことがあるのか」と元から低めの自己肯定感が更に低くなり,必死にしがみつくのがやっと,という日々がほとんどでした。正直,心身が耐えられなくなってしまったことも,しばしばありました。悔しさから自分を奮起させ,支えてくださる方々への感謝と申し訳なさをエネルギーにし,満身創痍ながらなんとく乗り越えたものの,工学の研究は自分に向かないのではと感じ,社会人になってから新しい分野で研究をしてもいいんじゃないかと思って,応募を決意しました。もともと文系が得意だったこと,国境なき医師団を目指していたということもあり,国際的な分野にも興味があったこと,ライフワークのNPOも多文化に関する活動であること,などから,私には合っているんじゃないかと今は想像しています。

 

― 実際に働いてみて,学生時代のイメージと違うことはありますか?

 意外と自分の時間を作ることができると思いました。今は非常勤講師なので,平日の休みのときにNPOの仕事をすることもできますし,融通が効いています。会社員はもっとずっと仕事をしているイメージだったので,ちゃんとプライベートの時間も取れるんだと思いました。

 

― 働いていて,留学経験が活きているなと思ったことはありますか?

 私と違う考え方や価値観を持っている人と出会っても「多文化だな」と捉えて,一旦はその人の話を耳に入れることができるようになったことです。
 「多文化共生力は外国の方に対してだけ必要」というわけではないと思います。当然,日本人の中でも違いはあって,それも全て含めて多文化共生だと私は考えています。育ってきた環境も,生きてきた時代も,見てきたものも,食べてきたものも違うので,日本人の間でも多文化ってあるよねと思えるようになりました。
 例えば,年配の先生と若い先生の考え方は違います。生意気で申し訳ないのですが,自分よりも年上の方と接するときに意見が合わないなと思うことがあります。前だったら,私と考え方が違う人と話しているときに,正直少しイライラすることもありました。今なら,良い悪いでなく,違うのは普通だよねと思えますし,きっと私も数年後に私が思っているようなことを思われるんだなと考えています。
 日常生活の価値観の違いも多文化だと捉えられるようになったのは,留学中や留学後にたくさんのひとに出会ったことが影響しているのではないかと振り返っているところです。

 

― これから実現したいことや夢を教えてください。

 大きな目標は,それぞれの違いを認識して誰もが自分の個性を認められる社会を作ることです。多文化の存在も認識しつつ,どんな人でも自分は自分と認められて自信を持って生きられる世界を作りたいです。

 

― 学生時代の自分にメッセージを送るとしたら,どんなメッセージを送りますか?

 人生をやり直せたらもう一度工学博士を目指すとは思えないけれど,それでも私の人生に悔いはないと思っているので,そのときの自分の感性と支えてくださっている方々への感謝の気持ちを大事にして生きてほしい
と伝えます。
 私は他のトビタテ生に比べておもしろいわけでもないし,私より専門性が高い学部生や修士の方々は、トビタテ生に限らずたくさんいる思っています。でも,基本的にネガティブな私が心の底から誇れるものがあるとしたら,「人とのご縁」だと思っています。だから,その部分は信じて,支えてくださる方々に感謝し続けてほしいと思っています。

 

編集後記 ー常に本音でー
 インタビューを通して,土屋さんは「本音で自分のやりたいことを突き詰めていく」という印象を受けました。
大学選択やキャリア選択などいろいろな場面で,どこか自分のやりたいことよりも,周りの印象や将来性を考えて選ぶこともあるんじゃないかなと思います。そんなときでも,本当に自分のやりたいことなのかと考えられるようになりたいと思いました。
次回は,ベトナムに留学後,大手Webメディアに就職したトビタテ生のキャリアを紹介します。

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