第221回:~社会人トビタテ生の留学する前と後特集 vol.12~「子どもと一緒に夢を追いかける」菊池モアナさん
2022.03.01
学生時代にトビタテで留学した社会人を取り上げて,現在のキャリア選択のきっかけや「留学」がその後の人生にどのような影響を与えたのか紹介する「社会人トビタテ生の留学する前と後」特集。
第13回は大学5期でイギリスとタンザニアに留学した菊池モアナさんです。青年海外協力隊に入ることを夢見て,留学した菊池さん。留学中に出会った女の子が菊池さんの人生を変えました。そして,帰国後の菊池さんにも大きな転機が訪れます。そんな留学後に人生が一変した菊池さんが選んだキャリアはタンザニアでの起業でした。
【インタビュアー:青山実央(事務局インターン,大学12期)】
目次
今回のトビタテ生
名前:菊池モアナ
トビタテの期・コース:大学5期・多様性人材コース
留学先:イギリス・タンザニア
留学テーマ:アフリカの子どもたちの就学率の実態を知る
大学3年生のときに,1年間休学してイギリスとタンザニアに留学。留学後に妊娠が分かり,出産。大学卒業後は株式会社ボーダレス・ジャパンに就職。現在は,ボーダレス・ジャパン株式会社の起業支援の仕組みを活用し,グループ会社としてBorderless Tanzania Limitedを設立。タンザニアにて生理用ナプキンの製造・販売事業を進めている。
自分は何もできなかったと感じた留学
― 留学前はどのようなキャリアプランを考えていましたか?
中学生くらいから青年海外協力隊に入りたいと思っていました。
中学校のとき,平和教育に力を入れている先生がいらっしゃって,その先生の授業がきっかけで目指すようになりました。その先生は生徒主体で授業を運営していて,私は運営する立場として参加していました。平和教育の授業のゴールは「地域を知って,世界を知って,自分たちに何ができるか考える」ことでした。その授業の中で,世界の様々な国を調べ,私にできることは何かということを考えた結果,青年海外協力隊で支援することに辿りついたんだと思います。
大学生になってからもその思いは変わらず,青年海外協力隊に入って,知識がないなりに,私には何ができるのかチャレンジしたいと思っていました。なので,私の中では「大学を卒業したら,青年海外協力隊で海外に行く」と決めていました。
そして,そのキャリアをスタートにして,世界で自分は何ができるのかということを考えられたらいいなと思っていました。その後は国際機関で働くことも視野に入れていました。
― 留学しようと思った理由は何ですか?
海外で働くためには,英語を話せないといけないと思っていたので,とりあえず英語を勉強するために海外に行こうと思っていました。当時は「この国でこんなことが勉強したい!」っていうこだわりはありませんでした。
高校生のときも,留学に行けるプログラムはあったんですけど,部活でとても忙しかったので,行く機会を逃してしまいました。なので,大学に入ったからには絶対に海外に行きたかったです。
でも,英語は苦手で,大学の留学プログラムに申し込めるほど英語のスコアもありませんでした。意欲や熱意はあるけど,スコアも足りないし,お金もかかるしどうしようと思っていたときに,トビタテと出会いました。
情熱や意欲を見て審査してくれるんだったら,私にもチャンスがあると思って,応募を決意しました。
― どんな留学生活をしていたんですか?
8ヶ月間イギリスに滞在した後に,5ヶ月間タンザニアに滞在していました。最初の6ヶ月間は語学学校で英語を学んでいました。私は座学で勉強することが苦手で,クラスの中でもずば抜けて英語が全然できなかったんです。でも,少しでも会話ができるようになりたいと思い,ハンドボールの部活動に参加したら,先生方から「どんな勉強をしたんだ?」と驚かれるほど英語力が伸びました。私のポジションがチームメイトに指示を出すポジションだったので,コーチから言われたことをみんなに伝えるという経験を重ねていくうちに英語が上達していったのかもしれません。
その後の2か月間は大学の授業の聴講をしたいなと思って,教育開発学を専門にしている先生の授業を聴講していました。
ハンドボール部の仲間との1枚
タンザニアには,子どもが学校を退学してしまう理由を調査するために留学しました。退学してしまった子どもがいる家庭10軒ほどに住まわせてもらいながら質的調査を行ったり,学校へのインタビュー調査を行ったりしていました。
タンザニアでの調査活動の様子
加えて,私が行きたいと思っていた地域でインターン生を募集していたNGOがあったので,そこでもインターンをしていました。そのNGOは*リプロダクティブヘルス教育をやっていました。タンザニアでは,15歳から19歳の女の子の内,30%が妊娠をしているくらい,若年妊娠をする女の子が多いんです。そして,大統領の発言が元となって学生が妊娠してしまうと公立学校を退学しないといけない,そして,復学も禁止されるというルールが2017年から2021年11月までありました。
そういった環境も重なって,若年妊娠が要因で退学してしまう事例がたくさんありました。実際に,私がタンザニアに滞在していたときに出会った16歳の女の子は若年妊娠を理由に退学して,そのときは妊娠7ヶ月でした。私は調査活動の一環として,その子やその子が通っていた学校の先生へのインタビューしたり,一緒に生活したりしました。その子は学年トップの成績を持つ優秀な子で,まじめな性格だったという学校の先生の話を聞いて,生徒たちがきちんと理解できて,実践できるレベルの性教育が届けられていないことも若年妊娠が起こってしまう理由の1つなんだと実感したことを覚えています。
そして,私はその子と一緒に生活していく中で,悔しい思いが芽生えました。その子には,周りからの理解や支援が得られない中でも,医者になるという夢がありました。学校も,もう1度通いたいと思っていて,教科書もすべて取ってありました。こんなに夢も意欲もある子が夢を叶えられることができないこの状況がとても悔しかったですし,その子に対して何もできない自分にも悔しい思いが湧いてきました。
その思いが私の留学の中で1番心に残ったことでした。調査をして,いろんな状況の子どもたちの現状を知ることはできたけど,知ったあとで学生の自分にできることが何もない。そんな苦い思いをして帰ってきた留学でした。
*リプロダクティブヘルス:性や子どもを産むことに関わる全てのことに対して,身体的にも精神的にも社会的にも本人の意思が尊重され,自分らしく生きられることを指す。日本では一般に「性と生殖に関する健康」と訳される。
菊池さんが出会った女の子の写真
子どもと一緒に夢を追いかける
― 留学後に大学生で出産されたということでしたが,出産の決意を固めた理由は何ですか?
私のこれからの人生を考えたときに,産みたいと思ったからです。
妊娠が分かったときに,子どもを産む人生と子どもを産まなかったときの人生を考えたんです。どっちを選んでも大変な思いをすることは分かっていましたし,後悔することもあるかもしれないと思っていました。ですが,私の人生がより輝いて生き生きするのはどちらの選択肢だろうと思ったときに,子どもと一緒に生きていく方だと思いました。
パートナーとも話し合って,心の底から産みたいと思いましたし,私の父親からは「崖っぷちに向かっていく娘をみて止めない親はいないだろ。産まない方がいい」と言われたこともありましたが,その意見を押し切って産むことを決意しました。
わたしがやりたいと思っていた国際協力は子どもがいてもできると思っていましたし,留学を経て見えてきた将来のキャリアとして大企業に入る選択肢は当時の私にはなかったので,子どもを産もうと思いました。
パートナーはタンザニアの農村部出身で裕福な方ではなかったので,出産費用も支援もしてもらえない状況でした。なので,産むときに,自分だけで育てていくことになったとしても,絶対に育てていくと覚悟を決めました。
大学生のときも,友人や後輩に助けてもらい,就職してからも,同期や先輩が休みの日に子どもを預かってくれて,息抜きの時間をくれることもありました。そんな周りのサポートがあったからこそ、無事に大学も卒業でき、今タンザニアで起業をすることができています。本当に感謝をしています。
― 留学後に将来のキャリアプランに対する考え方の変化はありましたか?
起業しようと思いました。最初のきっかけは子どもがいるので,青年海外協力隊に入れなくなったことです。
でも,青年海外協力隊に入らなくても,私自身で何かを作り出せば,子どもと一緒に国際協力ができると思いました。ちょうどそのころに,先ほど話したタンザニアで出会った女の子に自分のポケットマネーから私立学校の復学費用の支援もしていました。
ですが,自分のポケットマネーからの支援では限界がありますし,若年妊娠をして退学をしてしまった女の子たちはその子のほかにもたくさんいます。他の子たちを助けるには自分で事業をやることがベストなのでは?と思うようになったことから起業をしようと本格的に考えるようになりました。
学生で妊娠しても,私には助けてくれる人がたくさんいて,学校にも通えていました。それに,大学を卒業して,就職もできました。でも,タンザニアの若年妊娠した子はそういう人生を選ぶことができません。しかも,そのような女の子はたくさんいます。
それで,子どもがいる私にもできる国際協力で,より多くの若年妊娠で退学してしまった女の子ために,そして,そういう女の子が夢を達成できる社会を作るために起業しようと思いました。
― NPOやNGO,国際機関で働くことなども選択肢としてあったと思いますが,起業を決意した決め手は何ですか?
女の子たちに就職先を与えることが1番必要だと思ったからです。起業を視野に入れたタイミングで,もう1度タンザニアに行って調査活動をしたときに,復学を望んでいる女の子たち全員が復学が最重要ではないということがわかりました。働いて子供を養いたいけど,そのためには学校を卒業していた方が有利だと思っているから,復学を選ぶという子もいました。
ですが,復学して卒業したとしても,タンザニアは就労機会が少ないのが現状です。面倒を見てくれる人がいなければ,子どもを育てながら,職に就くことはとても難しいです。なので,NPOなどで復学を支援したとしても,そのあとに就職ができるのかというと,そういうわけではありません。
そこから,私がタンザニアで就職先を作って,子どもを養えて,自分の夢も達成できるような環境を作っていく方が女の子たちが望んでいる社会になるのではないかと思いました。
― 現在はどんなことをされているんですか?
株式会社ボーダレス・ジャパンの起業支援の仕組みを活用して,現在はタンザニアで起業をし,事業開始に向けて準備をしています。株式会社ボーダレス・ジャパンは起業家のプラットフォームのような仕組みになっていて,社会起業したい人に対して経営アドバイスやマーケティング、法務、会計、そして起業資金などをサポートしてくれる会社です。その会社で,私が就職するタイミングに新卒起業家を育てようとプロジェクトが始動しました。
そのプロジェクトは1000万円を活用して,新卒で起業したい人が5人組で事業を作りながら,実践を通して経営を学んでいき,その後それぞれがやりたい事業に挑戦していくものでした。
そのプログラムを終え、今はタンザニアで若年妊娠で退学してしまったシングルマザーの貧困を解決することを目標に起業をしています。株式会社ボーダレス・ジャパンのグループ会社として設立しているので,毎月経営会議をしてもらったり,先輩からアドバイスをもらったりしています。1人だったら分からないことも経営会議で聞いたり,先輩に相談できたりする環境がとてもありがたく感じています。
新卒起業家プログラムで切磋琢磨した仲間との1枚
若年妊娠で退学した志ある女の子たちが夢を追い続けられる社会を
― どんな事業をされるんですか?
タンザニア各地で生理用ナプキンの製造工場を作ろうとしています。
アフリカは生活水準から考えると,生理用品の値段が高いんです。なので,生理用品を買えない人もたくさんいます。布や新聞紙,トイレットペーパーなどで代用する子もいますが,不衛生ですし,機能性も十分ではありません。なかには,生理のときは学校に行かないっていう子もいます。ですが,毎月休んでいると,授業についていけなくなってしまい,それが原因で退学してしまう場合もあります。
そんな*生理の貧困にアプローチできたら,私の事業に関わってくれる女の子たちが、困っている人の役に立てていると実感してもらえて,そこから,学生妊娠により一度失ってしまった自分たちの存在意義を見出したり,自己肯定感を再び感じてもらえたりするんじゃないかと考えました。
それに,生理用ナプキンの製造を通じて,性教育にもアプローチできて,若年妊娠を防ぐ活動にも繋げていくことができるのではないかと思っています。その一環として,私の会社が製造したナプキンを1つ買ってくれると1枚のナプキンを生理の貧困で困っている女の子に届ける仕組みを取り入れていこうと考えています。
将来的にはタンザニア全土に工場を設立し,出稼ぎをしなくても,家族と一緒に住みながら働けるような仕組みにしていきたいです。そのためにも地産地消のシステムを取り入れています。生理用ナプキンだったらタンザニアで作られたものをタンザニアの女性が使えるので各地で職を生み出すことができるのではないかと考えてます。
*生理の貧困:経済的な理由などで,生理用品を十分に入手できないこと。
起業に向けた調査活動の様子
製造したナプキン
― 実際にタンザニアでビジネスをするにあたって,想像と違ったことはありますか?
余分にお金を払わないといけない場面は想像よりも多かったです。
外国人はお金持ちだという判断をされるようで,この事業に日本人である私が関わっていると分かると,全ての手続きが複雑になって,お金を払わないと先に進めないプロセスが多くなっていました。最初のうちは,なんでそうなるのか分からなくて,とても苦戦していました。
ですが,私の場合はタンザニア人パートナーと起業をしたので,そういうことが今後は起きないように,今はパートナーに役場での手続きや現地の人との交渉などを担当してもらっています。
日本で起業していたら,ぶつからないような壁にぶつかっています。覚悟はしていましたが,こんなこともあるのかと日々難しい経験をしています。
― 働いていて,留学をしてよかったなと思うことはありますか?
起業する中で,経験が活きていると感じる場面は語学の面です。私は全然英語ができない中で,イギリスへ留学して,泣きながら毎日勉強していました。ですが,イギリスでの留学を通して,英語を話す力がとても上達しました。この力があるからこそ,タンザニアの会社や海外の会社とのやり取りや,弁護士への連絡など英語を使いながらビジネスができているんじゃないかと思います。
それに,働く場面だけではなく,留学によって私の人生が変わりました。
人生を変えてくれた出会いはトビタテを通してタンザニアで得たものでしたし,自分がやりたいと思うことをやらせてもらえたおかげで,タンザニアで夢を持つ女の子にも出会え、起業という想像もしていなかった人生が始まりました。もし,トビタテで留学していなかったら,できなかった体験がたくさんあります。今の私はトビタテなしでは語ることはできません。
― 今後実現したいこと,夢を教えてください。
タンザニアでの事業はまだ途中なので,今は事業をきちんと動かして,軌道に乗せていくことが最初の夢です。そして,若年妊娠をして心細い思いをしている女の子が,もう1度夢を持って,挑戦し続けることができる社会を作っていきたいです。
そのためにも,その子たちが起業したいとか大学に通いたいとか夢に向かって走り出したときに,それらを実現できるくらいのお給料を渡していけるようになりたいです。
そして,いつかはタンザニアだけではなくて,他の国でも困っている女の子たちを応援できるようなビジネスに成長させていきたいと思っています。
― 最後に,学生時代の自分にメッセージを送るとしたら,どんな言葉をかけますか?
私の好きなこと,やりたいこと,知りたいことを無視したり,心の中に閉じ込めたりしないで,自分の心に従って突き詰めていってほしい。そして,情熱を持ち続けて,生きていってほしい
と伝えたいです。
もちろん好きなことややりたいことを続けていくことも簡単なことではありません。ですが,心の底からやりたいと思っているんだったら,自分がやりたいと思っていることを周りの意見とか社会の風潮とかに左右されずに,突き詰めていってほしいと思います。
何かを選べば,何かはできなくなるってよくあることだと思います。
ですが,それをできなくしているのは,固定観念だったり,周りの意見だったりするかもしれません。自分が本当にやりたいことは何なのか,実現したいことは何なのか,それに従って生きている菊池さんはとてもかっこよくて,女性として尊敬しています。
次回は,フィンランドに留学後,地方で変わった塾の運営に携わっているトビタテ生のキャリアを紹介します。
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