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第253回:とまりぎインタビュー記事:本庄遥さん【オーストラリアでソフトボール留学】

鈴木花穂 事務局インターン大学4期

鈴木花穂 事務局インターン大学4期

2022.08.04

みなさんこんにちは!

大学4期でロシアに留学していたトビタテ事務局インターンの鈴木花穂です!

私が独断と偏見で選んだトビタテ生にスポットライトを当てて、留学中に学んだことや、その後の活躍をご紹介しております!

今回は、オーストラリアでソフトボール留学をした大学7期の本庄さんにインタビューしてみました!

トビタテ!留学JAPANでの留学

本庄遥(ほんじょうはるか)さん

7期 多様性人材コース

留学テーマ オーストラリアでソフトボール留学

ソフトが強い国で自分を鍛えたい

鈴木)留学をしたきっかけを教えてください。

本庄)私は、元々東京オリンピックでソフトボールの選手として出場することを目指していていました。日本でソフトボールをプレーする外国人がいない中、北京オリンピックで銅メダルを獲得したオーストラリアで自分を鍛えたいと思い、留学をしようと思いました。

鈴木)とても高い目標を持って留学されたのですね!ソフトボールはいつから始められましたか?

本庄)小学校2年生の頃からです。学童保育に通っていたとき知り合った2つ上の友だちが地域のソフトボールをしていて、土日もその人たちと遊びたいと思って始めました。中学校や高校でも部活でソフトをしていて、小学校から中学校に上がるときにソフトボールがなかったので、隣町の強豪校でやるために住民票を移動させました。

鈴木)ソフトボール一筋だったんですね!

英語が分からない中奮闘

鈴木)留学内容を教えてください!

本庄)トビタテを使って1年間、その後、もう少しオーストラリアに残りたいと思ったので、合計1年半留学しました。

メインのソフトボールの活動では、現地のチームに所属して夏冬夏の3シーズンにリーグ戦に参加し、QLD州の大会にも出場しました。

鈴木)オーストラリアと日本のソフトボールの違いはありましたか?

本庄)日本では部活動を中心に、学校がクラブを運営することが多いのですが、オーストラリアは地域密着型でした。自分がやりたいレベルでプレーができるのも魅力的でした。

鈴木)思い出に残っていることはありますか?

本庄)実は、留学に行く前の私は英語ができませんでした。留学前のTOEICでは、990点満点中110点しか取れませんでした。しかし、大学で韓国語を第二言語として勉強し、ソフトの試合で韓国に行ってから言語に興味を持ち、いつか韓国語が話せたらいいな、と韓国の方と話していました。

それで、オーストラリアでも最初の頃は韓国人の友達を作って韓国語と英語を混ぜて会話をしていたのですが、一方で英語が全然分からなくて頭が痛かったです。

写真①留学の最初の頃にできた韓国人の友だちと。英語だけを話す時間を作ることが大事とは言われているものの、私は全く英語を勉強せずに行ったので、最初は韓国語で韓国人の友だちをつくり、英語を一緒に勉強するようになりました。彼女たちと仲良くなったことで、韓国語ばかり話して怒られてしまったことも今となればいい思い出です。笑

留学の最初の頃にできた韓国人の友だちと(本庄さん:右)

鈴木)最初はオーストラリアで韓国語を使ってコミュニケーションを取ることもあったんですね!

本庄)この体験を通じて、留学に行く前にお金を払ってでも英語を勉強してでも行くべきだったと思いました。英語を学んだり英語系のコーチングを受けたりするなど、お金をかけてでも事前投資をしてから行った方が、留学が充実したものになっただろうな、と思いました。

写真②語学学校のビギナークラスだった時の写真。まだほとんど英語が話せず、ボディランゲージと拙い英語でみんなと話し合いました。一番辛い時期だったけど、自身の成長を一番感じた時間でした。

語学学校のビギナークラスのクラスメイトと(本庄さん:左)

留学当初は英語が話せませんでしたが、それにも関わらず最初に入ったチームではチームメイトに親切にしてもらいました。チームメンバーと力を合わせてがんばった結果、リーグ戦で優勝することができました。スポーツって言語を越えるんだな、と感じるような経験をしました。

写真③4年ぶりに地域リーグで優勝。19歳のキャッチャーの女の子(写真左)とバッテリーを組み、試合に挑みました。まだ英語力が乏しいながらもほぼ全試合を完投し、チームみんなで掴み取った優勝でとても嬉しかったです。

バッテリーを組んだキャッチャーの女の子(写真:左)と(本庄さん:右)

鈴木)すごい、最初のリーグ戦で優勝されたんですね!おめでとうございます!

アスリートのキャリアの専門家になりたい

鈴木)帰国後の活動を教えてください。

本庄)留学に行ったことで夢が大きく変わりました。キャリアコーチングを受けた結果、私の夢とは目立ったりアスリートのキャリアを変えたりすることが中心で、目標を達成するためには必ずしも東京五輪に出場する必要はないと考えたからです。というのは、金メダリストですら知名度が低いことがあるのに、その中でもソフトボール選手となると更に名前を知っている人が少ないという現状があるからです。

一方、私がソフトボール選手であることをトビタテを通じて知った人が多く、オリンピック選手を目指すよりもトビタテを通じて活動した方が目立つのでは、と思うようになりました。留学に行かなかったら、広い世界を知らない状態で選手を目指していたままだったと思いますが、留学に行ったことで視野が広がり、進路が変わりました。

今では、毎年色々な国で外国人助っ人としてプレーをしています。それから、アスリートが自分自身でどのようにお金を稼いでいくのかを教えるアスリート向けのキャリア支援事業も行っています。並行して、私自身も英語に関する事業のマーケティングオフィサーの責任者をしています。

鈴木)スポーツに関係があることや英語を使って色々な活動をされているのですね!

将来の夢を教えてください。

本庄)アスリートのキャリア支援の専門家になりたいです。アスリートの中には、競技時間中にお金を稼ぐことができず、引退後の生活に不安を抱える人が多いので、そういった人をサポートして助けることができるようになりたいです。それから、私自身が発信したりメディア出演をしたり今の事業を大きくしたりすることで、こんな働き方があるんだということをアスリートの方に知っていただけたらいいな、と思っています。

編集後記

スポーツ関係の仕事には、アスリートになること以外にもアスリートのキャリア支援という道があることを知り、新鮮でした。

今後も本庄さんの活動を心より応援いたします!

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