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第247回 とまりぎインタビュー記事:久松祥子さん【バングラデシュの障害者支援】

鈴木花穂 事務局インターン大学4期

鈴木花穂 事務局インターン大学4期

2022.08.25

みなさんこんにちは!

 

大学4期でロシアに留学していたトビタテ事務局インターンの鈴木花穂です!

私が独断と偏見で選んだトビタテ生にスポットライトを当てて、留学中に学んだことや、その後の活躍をご紹介しております!

 

今回は、バングラデシュに留学した大学1期の久松さんにインタビューしてみました!

トビタテ!留学JAPANでの留学

久松祥子(ひさまつしょうこ)さん

1期 新興国コース

留学テーマ バングラデシュの障害者支援

バングラデシュ×障害者というニッチな分野を学びたい

鈴木)バングラデシュで障害者のことについて調べようと思ったきっかけについて教えてください!

久松)私は幼少期に家族でベトナムに住んでいて、途上国開発に興味を持ち、大学では国際関係を学びました。その時、再びベトナムに行ったのですが、自分が暮らしていた時よりも経済発展していて、「途上国開発ってなに?」と疑問に思うようになり、ベトナムではなく他の国について学びたいと思うようになりました。

そんな中、ムハンマド・ユヌス博士とあるアパレル会社の社長をゼミの友人に紹介してもらいました。ムハンマド・ユヌス博士は、バングラデシュで銀行を立ち上げ、貧困層に小規模融資(マイクロファイナンス)をおこない、バングラデシュの人たちの経済的自立を支援し、ノーベル平和賞やオリンピックローレル賞を受賞した人です。アパレル会社は、バングラデシュでバッグなどを生産し、日本で販売しています。安く大量生産するのでなく、付加価値を付けて先進国で販売し、途上国発のブランドを確立することを目的とされています。

これらの取り組みを知り、バングラデシュってどんな国?と興味を持ちました。

鈴木)素晴らしい人たちとの出会いが久松さんの進路に影響を与えたのですね!

久松)障害者のことに興味を持つようになったのは、大学一年生の時にあるNPO法人にボランティアへ通うようになってからです。そのNPOと出会うまでの私の中での障害者は「可哀想で助けてあげなければならない存在」でした。しかし、そこでのイベントが面白かったことで、障害者の印象がガラッと変わりました。

例えば、みんなでバスを貸し切って京都までお花見に行って、全員で仮装をして花見街道を練り歩くのです笑 仮装することによって、道行く人に声をかけてもらうことで、障害について知ってもらえる、という狙いがあるというから当時の私には驚きでした。自分がその場にいて、すごく楽しかったんです。

鈴木)そのようにユニークな活動をされている団体があるのですね!初めて知りました。

実は日本の障害者の方が大変なのでは?

鈴木)留学内容を教えてください。

久松)実は、トビタテの留学で行く前にも修士論文執筆のために現地に1年滞在していたのですが、トビタテではその予備調査のために再び3ヶ月バングラデシュへ行きました。

具体的には、農村部の障害者宅やNGOが支援するセルフヘルプグループ(SHG)の活動を中心にフィールドワークしていました。

留学している間に、CBR(地域を基盤としたリハビリテーション)という概念に出会いました。それは、途上国の障害者支援において、国外からお金や物資を入れ、革新的な手法で障害者を支援するのでなく、その国にあるもので、彼らが地域で暮らす中で持続可能な方法で障害者にリハビリを施す、という理念でした。留学を通して、実はこの理念は途上国には初めから存在し、障害があっても自分たちで工夫してみんなで助け合って生活しているということを目の当たりにしました。

バングラデシュの障害者SHGは私が知るSHGとは異なりました。本来、SHGとは自助団体を意味し、障害者が自らグループを作り、自らの権利を主張したり、運動することで障害に関する制度を確立することを目的とされています。しかし、バングラデシュではNGO職員が農村で障害者たちを集め、「あなたたちは障害者なんだから、役所に行ってちゃんと手続きして、障害者年金がもらえるように訴えなさい。そして、少額でも融資(マイクロファイナンス)を受けてビジネスを始めなさい」と教えて説き、SHGが作られていった、という経緯があります。また、現地で「障害者(ベンガル語でプロティボンディ)」という言葉が浸透していませんでした。実際に、障害のある人でも彼らなりに生計を立てたり学校に行ったりすることができていたのです。足がない、目が見えないといったことは、彼らにとって「ちょっと不便なこと」という印象なんだと、当時の私には感じられました。むしろ、バングラデシュの障害者と比べて日本の障害者は施設に閉じ込められ、地域とはかけ離れたところで暮らしている場合が少なくないのではないか、現に自分が障害者と関わる機会が全くないではないか、ということに気付かされました。

鈴木)バングラデシュに行ったことで、思いがけず日本の障害者支援の問題点が分かったのですね!

写真①久松が必死で知っているベンガル語で伝えようとするものの、村の方言がうまく発音できず、視覚障害の女性と村の人たちが興味深そうに見つめている様子。結局うまく発音できず、その後みんなで大笑いしました(笑)

久松(写真右側の赤色の民族衣装を着ている)さんと視覚障害(写真左の水色の民族衣装を着ている)の女性と村の人たち

写真②身体障害男性は、右足の膝から下が欠損しているものの、奥様と結婚され、3人の子供を育て、家の近くの池で採った魚を市場で売って生計を立てていました。「障害って何?」と深く考えさせられた一例でした。

身体障害(写真中央の松葉杖をついている)男性、奥様(写真左端の頭に布をかけている女性)と3人の子供(写真右側の3人)

写真③農村の小学校で飛び入り授業。日本の文化を伝えるため、折り紙で鶴の作り方を披露しました。バングラデシュでも折り紙は子供たちになじみがありましたが、鶴は珍しいようでした。バングラデシュは遠いイスラム教の国で日本とは文化の違いが強調されますが、同じアジアの国であり、折り紙や国旗が似ていること等、親近感が沸く国でもあります。

農村の小学校で授業をする久松さん

障害者や国際交流、バングラデシュに関わり続けたい

鈴木)帰国後の活動について教えてください。

久松)大学院を卒業し、トビタテの事後研修が終わった次の日に、留学中から付き合っていた現地人の夫と結婚しました。

鈴木)おめでとうございます!それは素敵ですね!

久松)今は例のNPOの正規職員として働いています。「重度知的障害者が地域で当たり前に暮らせる社会を」という理念にとても共感し、日本でこそ、障害者がいかにして地域で暮らしていくことができるのかについて考えなければならない、そのためにはそこで働くのが良いのでは?と思ったからです。

鈴木)今もそのNPOで引き続き障害者に関係があることに携わり続けているのですね!

将来の夢を教えてください。

久松)私の職場では主に知的障害の方を支援しているのですが、私の働いている大阪市生野区は66カ国の外国人が住んでいるいうこともあり国際交流プログラムの実施、日本語教室の開催、外国人の親子向けに日本語と外国語の絵本の読み聞かせも行っています。日々の業務に加え、これらの国際的な取り組みに参加することは、兼ねてから国際関係の仕事を希望していた私にとって嬉しいことであり、こんなに身近に、しかも仕事をしながら国際協力できることに魅力を感じています。これからも積極的に参加したり、より多くの外国の方や様々な国の方と関わりたいと思っています。

それから、今は2人の子どもがいるのですが、成長したら夫とバングラデシュに行きたいです。夫は義足を製造する仕事をしているため、将来は夫婦で障害者に関わる仕事をバングラデシュでするのが私の夢です。

編集後記

取材を通じて、久松さんのバングラデシュ愛と障害者の問題に取り組む熱意が伝わってきました。自分が一生懸命取り組んできたことを通じて知り合った人と家庭を築くのはとても素敵なことだと思います。

今後も久松さんのご活躍を応援いたします!

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