第260回 とまりぎインタビュー記事:中村弘一さん【ラクロスでメダル取得を目指す!】
2022.09.26
みなさんこんにちは!
大学4期でロシアに留学していたトビタテ事務局インターンの鈴木花穂です!
私が独断と偏見で選んだトビタテ生にスポットライトを当てて、留学中に学んだことや、その後の活躍をご紹介していきたいと思います!
今回は、アメリカとオーストラリアにラクロスをするために留学した大学4期の中村さんにインタビューしてみました!
目次
トビタテ!留学JAPANでの留学
中村弘一(なかむらこういち)さん
4期 多様性人材コース
留学テーマ ラクロスでメダル取得を目指す!
ラクロスが強い国で実力をつけたい
鈴木)中村さんがラクロスを始めたきっかけについて教えてください。
中村)大学に入学した時に、ユーチューブでラクロスの動画を見たことがきっかけです。高校時代はバスケ部に入っていたのですが、何か他に新しいことをやりたいと考えていました。大学生で始める人が多く、他の人と同じスタートラインに立ちやすいのがラクロスだったので、ラクロスをしようと思いました。
しかし、大学にラクロス部がなかったので、ラクロス部を創設するところから始める必要がありました。
鈴木)一から自分たちの力で始めたのですね!ラクロスをするために留学をしようと思ったきっかけについて教えてください。
中村)私は、福岡県の中村学園大学という大学に通っていたのですが、そこは元々女子大学が共学になったところで、男子学生が少ない大学でした。そのような大学でラクロス部を作り日本代表を目指していたのですが、関東や関西のチームが強く、地方にいて都心部と地方の格差が大きく、仮に東京に出て戦ったとしても、卒業時点では関東の選手には私のレベルでは追いつけないと感じていました。日本のラクロスのレベルは世界ランクで6~7位で、アメリカやカナダに比べると強くありませんが、私がラクロスをアメリカやオーストラリアで行うことで、東京の選手と比べて力を付けることができると考え、留学を決意しました。
ライバルを追い越すために努力を重ねて
鈴木)留学での活動内容を教えてください。
中村)まずは、南オーストラリアのアデレードで半年間、ワーキングホリデーのビザを利用してクラブチームに所属しました。
その次は、アメリカで秋冬から1年半大学に入学し、ラクロス部に所属しました。
鈴木)留学先では、現地の学生との技術の差を感じることはありましたか?
中村)留学に行く前は、九州の福岡でも九州学生ラクロスリーグに参加して勝利するなど、ラクロスの技術をある程度は身に付けたと私は思っていて、その中でも自分のスピードは強みだと思っていましたが、現地では相手も同じスピードでプレーをしている上にパワーもあるので、一枚も二枚も上手でした。したがって、現地でのプレーは修行になりました。
鈴木)課題を克服するためにされていたことはありますか?
中村)あります。18歳からラクロスを始め、当時まだラクロス歴5年目だった私に対して、アメリカの選手は幼少期から十数年も練習をこなしてきています。したがって、ラクロスのキャリア年数が長い彼らを質で追いこすためには、練習量をこなさなくてはなりません。
そこで、チームでの練習の1時間前に自習練習をしたり、チームのみんながのんびりしている時に私は9~10時までトレーニングしたり、朝早く起きて練習したりと、ライバルが一日に90分練習している間に自分は何時間も練習を積み重ねて、彼らの倍練習するよう意識していました。
その結果、オーストラリアでも南オーストラリア州のディビジョン1(1部リーグ)でも優勝することができ、留学2年目では個人としても全米ランキングで6位まで上がることができ、トビタテにお世話になっている間は無敗でした。全米1位のライバルには追いつきませんでしたが、量が質に変わったのがアメリカの1シーズン目だったのだと思います。
鈴木)少しでも他の人よりも努力しようとする姿勢が結果に現れたのですね!
写真①2017年にNorth Adelaide Lacrosse Clubが10数年ぶり悲願の南オーストラリア州一部リーグ優勝したときの写真
南オーストラリア州一部リーグ戦でのNorth Adelaide Lacrosse Clubの皆さんと(中村さん:写真手前右の男性)
写真②2018年にOnondaga Lazersのメンバーとしてプレーをしていた時の写真
Onondaga Lazersのメンバーとしてプレー中の中村さん
写真③2018年のNJCAA全米大会でOnondaga Lazers が2年連続無敗で11度目の全米優勝を果たした時の写真
2018年のNJCAA全米大会でのOnondaga Lazersの皆さんと(中村さん:写真手前の14番のユニフォームを着た男性)
金メダルを目指して
鈴木)帰国後の活動を教えてください。
中村)2019年と2020年は、日本でスポンサーを探しながらプレーしたり、アメリカでプロ入りにチャレンジしたりしていて、アメリカへ渡航したり日本に帰ったりを繰り返していました。そして、スポンサーをもらって海外に飛び立てそうだと思ったので、2021年にアメリカへ渡航し、プレーしました。今はカナダのトロントにいて、NLLというラクロス界のプロリーグにあたるものにチャレンジしています。一度はアジア人前人未踏のトッププロNLLTorontoRock入りを果たしたのですが、今は日本の野球で言うところの二軍であるALL Toronto Monarchsにいるので、北米でのプロ入りに向けて活動しています。
鈴木)今も留学していた時のように時間を惜しんで練習されているのですか?
中村)今は、スポンサーが見つかったこともあり、学生の時と比べると、日中他に仕事をしているライバルの他の選手たちの10倍くらいは練習時間に費やすことができています。一日の練習時間は7時間位です。量的な差が質に変わるのは時間の問題だと思うので、継続して練習を続けています。
鈴木)将来の夢を教えてください。
中村)2028年のロサンゼルス五輪で日本代表の主将金メダルを獲得し、母や妻、スポンサーの企業の方にメダルを持っていけたら嬉しいです。それを見越して、2024年までにはプロ入りを目指して頑張っています。
編集後記
高い目標を持って地道に努力を積み重ねる姿勢が、中村さんの成功の秘訣なのでしょうね!
今後も中村さんのご活躍を心より応援いたします!
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