優しさを哲学する医師──産婦人科医・近松さんが語る『人間学としての医療』
今回「保健医療」というテーマで、国際保健医療学を勉強するとまりぎ広報チームのあごうが、イタリアに留学され、現在は産婦人科医でありバチカン生命アカデミー若手会員として活躍する近松勇門さんにインタビューを行いました!トビタテ留学や現在のキャリア、今後について語ります。
イタリア留学で見つけた「優しい医療」のかたち

2019年、大学6年生の時にイタリア・ローマへ留学した近松さん。テーマは「優しいお医者さんを哲学する」でした。
近松さん:私が定義する優しいお医者さんというのは、単に「優しい」性格というものではなく、医学的なプロセスと倫理学的プロセスを大事にするお医者さんのことです。病気などで困っていることをしっかりと見ると同時に、その人の家族背景や生活のこと、どのように暮らしているかというような要素もやはり大事で、両方を見なきゃいけない。
この2つのプロセスを統合することを、私は人間学的なプロセスと呼んでいるのです。両輪を統合して体現することができるのが「優しいお医者さん」とお伝えしています。
イタリアでは生命倫理学や医学人文学、人間学の研究が盛んで、近松さんは現地の病院での臨床インターンと、ローマ聖心大学医学人文学研究所での研究を並行して行いました。病院実習では制度上の不備や担当者の不在など思わぬトラブルも多かったそうですが、「完璧なものがないからこそ楽しめた」と振り返ります。
留学が与えた確信──「倫理学が医療を支える」]
留学を経て「変わった」のではなく「確信をもてた」と語る近松さん。
近松さん:例えば肺がんや糖尿病といった病気は、タバコが原因であったり、食生活で血糖コントロールできなかったりと、「その人のせいじゃん」と自己責任と思われがちな病気ですが、なぜタバコを吸うようになったのか,なぜその食生活を送るようになったのか,と「病気の原因」に目を向けると,本当にその人だけの責任なのかという疑問があります。「病気の原因」にも原因があるのですが、何が「原因」なのか.その原因が見える医療者と見えない医療者がいるのです。じゃあ、この違いが何だろうと考えた時に気づいたのが、倫理学の話だった、という話なんですね。
「病気の原因」の原因に目を向けると、個人の選択だけでは語れない社会心理背景が見えてきます。その違いに倫理学が深く関わっていることを、イタリアでの学びが教えてくれたそうです。 産婦人科と老年内科の両方を経験した理由も、人生の始まりから終わりまでを連続して見つめるため。生まれることも、死を迎えることも、「人間の尊厳」という一点でつながっています。
「マイナス1歳から100歳まで」──産婦人科を選んだ理由

数ある専門科の中から産婦人科を選んだ理由を伺うと、近松さんは産婦人科を「マイナス1歳から100歳までを診る診療科」と表現しました。
近松さん:医学的対象は女性に限られてしまうのですが、生まれてくるところから亡くなるところまで関わることができるのが産婦人科の魅力なのです。お母さんのお腹の中にいるところから始まり思春期、青年となり高齢に至るまで、さまざまな病気の因子が積み重なります。それぞれのフェーズで関わり、さらに次世代の良いスタートを切るためには、ライフコース全体で関われる産婦人科のお医者さんが必要です。
お腹の中の胎児から思春期、更年期、老年期まで、人生のあらゆる段階に関わることができる。そこには医学的視点だけでなく、家族や社会への理解も不可欠なのです。 「母親だけでなく、パートナーや家族ごとにアプローチできる場所」として、産婦人科を自らの探求の場に選びました。
母子保健とプレコンセプションケア
近松さんが注力する分野の一つが、SRHR(性と生殖に関する健康と権利)とプレコンセプションケア(性別を問わず、性や健康に関する正しい健康をもって妊娠・出産を含めたライフデザインや将来の健康を考えて健康管理を行うこと)。
包括的性教育が十分でない日本では、若い世代が妊娠や身体の変化について知る機会が少ないといいます。
近松さん:思春期を越えて生殖可能な年齢になってきた時に、いつどのように子供をもつのかもたないのか、人生で何をしたいのか、といった話が出てくると思うんですね。これは誰かに強制されるものではなく、誰にとっても守られるべき基本的な人権であり、健康の側面としても非常に大事だという話です。
近松さん:生涯にわたる心身の変化や、ライフコース段階でどんな病気になりやすいかなどを若い時から意識して取り組んでいくことは重要で、その健康状態を整えていくことが結果として妊娠した時の赤ちゃん、次世代の健康にもつながると言われているのです。妊娠を希望するしないに関わらず、心身ともに健康な状態であることは人生で何をしたいのか、ライフデザインという点からもやはり大切で誰にとっても深く関わる話になります。
「自分の人生をどうデザインするか、その中で健康をどう支えるかを考えることが、次世代の健康にもつながる」。健康とは、妊娠のための準備ではなく、生き方そのものを支える基盤だと語ります。
世界と日本をつなぐ母子保健

日本発祥の母子手帳は、今や世界各地に広まり母子保健分野に貢献してきました。
WHO(世界保健機関)が掲げる「Health for All(すべての人に健康を!)」の理念のもと、国籍や環境に関係なく健康を支援する活動が進む中、近松さんは外国人妊産婦の支援にも取り組みます。
近松さん:以前、私が担当した患者さんで、お母さんが産後うつになり赤ちゃんを置いて帰国してしまうというケースがありました。病気のことはもちろん言葉の問題に加え、文化的孤立など様々な要因が重なった結果でした。
その時の反省から、外国人妊産婦の実態調査をしないといけないと考え、以前勤務していた医療圏で調査をしました。滋賀県は技能実習生の増加に伴い、フィリピンやベトナムなどの東南アジア圏のカップルが増えてきています。彼女らの割合がどのくらいか、その中で産後うつのリスクがどの程度高いのか、ということが把握できていなかったため、調査し報告しました。
地域に根ざした調査を通じて、見えにくいリスクを明らかにしてきました。
医療と哲学──「人間の尊厳」という北極星

近松さんの研究拠点は、バチカンにあります。科学アカデミー、社会アカデミー、生命アカデミーから成る教皇の直属の学術諮問機関である「バチカン・アカデミー」は、世界で起きている最新の知見・叡智を結集する機関です。
科学の発展をどう人類・世界市民の幸福に結びつけるか -その問いに哲学的に向き合ってきた機関であり、彼が大切にする思想と「人格主義(personalistico)」の源流とが重なります。
近松さん:日本では、個人の自己決定権を最高原則に掲げる英米法の生命倫理の考え方が輸入されて以降、医療者と患者さんとの関係が「契約」に近い捉え方をする傾向があります。一方で、人格主義の考え方では、両者は「同盟関係」を結んでともに取り組んでいく、という捉え方になります。
また、医療は公的な資源であるため、自分だけが、という利己的な、制限なく自己決定権を最優先する考え方では限界がきます。公的な資源として正しく配分するためにはどうルールを設けていくのか、という議論が必要になってきます。そのルールづくりにあたり目指す目標、北極星が「人間の尊厳」なのです。 「医療は契約ではなく同盟。人間の尊厳を守るための共同作業」
その言葉には、医療を“人間学”として捉える視点がにじみ出ています。
未来を航るトビタテ生たちへ

イタリアの病棟の廊下で出会ったマーク・トウェインの言葉を、今も胸に刻みます。
「20年後、あなたは自分がやったことよりも、やらなかったことに失望するだろう。だから、もやいを解き放ち、安全な港から船を出しなさい。風を帆でとらえ、探求し、夢を見て、発見せよ」
近松さん:風を帆で捉える、というのは、風が毎回自分の行きたい方向に吹くわけではない。それでも、自分で帆を張ったからには、それを上手く調整しながら進んでいく、ということなんですね。そして、探求するだけでなく、その目的は「夢を見る」ということにある。自分はこういう世界になったらいいな、こういうことをやりたい、という想像力が、この言葉にぎゅっと収まっていると思っています。
自らの手で帆を張り、風の向きに翻弄されながらも進む- 留学を通じて得たこの姿勢が、今の近松さんの医療哲学の根にあります。
※画像はすべて本人提供
※2025年10月時点での情報です
