第12回:新藤さえさん(理系、融合・複合系コース 4期生)
柴:今日はよろしくお願いします!
新:よろしく!3ヶ月ぶりくらいだね!
柴:そうですね!最近どんな感じですか?
新:割と仕事も落ち着いてきて、心身共に元気にやってるよ!
柴:それは良かったです!お仕事といえば、さえさんって何のお仕事されているんでしたっけ?
新:私は保健師をやっているよ!
柴:保健師ってなかなか聞きなれない仕事ですよね。
新:うん、看護師さんや介護士さんはみんななんとなく知っているとは思うけど、保健師ってあまり馴染みがないんじゃないかな。
柴:そうですね。具体的にはどのようなことをする仕事なのですか?
新:保健師の中でも、行政保健師は、公務員の専門職で、時代に求められた地域課題と向き合って働くの。今私の所属する課は、保健所内にあって、新生児から高齢者までの健康に関する事業の運営と同時に、約1万人が住む地域を担当してケースワークをしています。
一昔前は感染症予防の仕事が中心だったらしいけど、現在は、高齢者の虐待予防や障害者の就労支援、妊娠期からの母子保健など多岐にわたってます。児童虐待関連も子ども家庭支援センターや児相がメインだけど、保健師も関わります。
柴:児童虐待って聞くと、児童相談所を思い浮かべるのですが、、、。
新:おお、よく知っているね!児童相談所は虐待を受けている子どもを支援するのが仕事なんだけど、保健師は、虐待してしまった親の支援や、親が色々と追い込まれて虐待せずにすむように予防の視点で支援します。
親もまた生きづらさを抱えて生きてるので〜。保健師は、福祉(現存するサービスを支援のために導入する役割)ではなく、医療・保健の視点で家族全体の健康を見守り、今後起こりうる将来を予測しつつ予防する策を常に考えて行動しています。
各家庭の課題は複雑で、彼らに適するサービスが存在しない場合も多々あるので、保健師の支援を通して穴埋めすることもあります。
柴:そうなんですね!さえさんって元々は医学部保健学科(看護学専攻)でしたよね。周りの方は割と病院勤務とかになると思うんですけど、なんでまたこのお仕事にしようと思ったのですか?
新:もうこの話をするとめっちゃ長くなると思うけど、大丈夫?(笑)
柴:もちろん、聞かせてください!
新:私、実は元々医者になりたかったんだ。
柴:そうだったんですか。
新:うん。私が生まれた時、二つの選択肢しかなかったんだって。重い障がいを抱えるか、すぐに死ぬか。
柴:え、でもさえさんは健常者で今元気に僕と話せていますよね。
新:うん。運よく健常者として育つことができたんだ。でも、そういう背景もあって、ふとした時にもし自分に障がいがあったらどうなっていたんだろうとか考えるんだ。他人事じゃなかった。だから、医者になって人を助けたいっていう思いを持っていたの。
柴:なんか、人のバックグラウンドって本当にわからないものですね。で、医学部にチャレンジした感じなんですか?
新:うん。でも、仮面浪人したけどダメだったんだよね(笑)
柴:そうなんですね。僕、大学受験の塾でバイトしているんで、医学部に入ることがどれだけ大変かは何となく分かります。
新:そう、経済面とか色々理由があって厳しかった笑。で、仮面浪人の結果が出て数日後に、私の担当教授のところに話に行ったんだ。ある講義を受けた時、学ばせていただきたいと思える教授を見つけていたので、仮面浪人で不合格通知をもらったらその教授のもとにすぐ行こうと決めていたの。
柴:え、大学低学年で担当教授がいたんですか?
新:うん、うちの専攻は、ランダムに教授が割り当てられていて。で、私の気になる教授が、偶然、私の担当教授でして、ホスピス関係を専門に研究をしていたのよ。
柴:ホスピス、、、とは?
新:すごく簡単にいうと、ホスピスとは、国籍や言語、人種、宗教、疾病の種類等に関係なく、最期まで地域のみんなで見捨てず支え続ける場であり理念でもある。
でね、その先生に誘われて学会に出たり、毎週本を借りて読んでいくうちに、ホスピスにはまっていったんだ。本当に楽しかった。
私がやりたいのはこれだ!って。医者になる夢をいったん諦めることになったけど、その代わりに、看護で出会えた教授からホスピスを教えてもらえたから、「失敗しても良いことあるじゃん!」って、縁を感じました。
柴:そんな出会いがあったんですね。
新:うん。それで、本場のイギリスに行ってホスピスについて深く学んでみたくなったんだ。ただ、どうしてもイギリス留学ってお金もかかるし、うち、親が心配性なんだよね(笑)。だからなかなか行く決心がつかなかったんだ。
柴:確かに、僕もお金の壁を越えるのには苦労したので、気持ちよくわかります。
新:ホント、海外に行くってお金かかるもんね。でもね、悩んでいた時に、たまたま大学でトビタテの人にお会いする機会があって、その人に、興味のあった「セントクリストファー ホスピス」に留学した方を紹介されたんだ。そんなこともあって挑戦してみようってなって、ご縁をいただいて合格できたのよ。
柴:不思議なご縁には乗っかってみるもんですね。イギリスで何されていたんですか?
新:本当そうね。イギリスではセントクリストファーホスピスに行ってファンドレイズのイベントに参加したり、実際にホスピスで絵を書いたり歌を歌ったりしたんだ。他にも、大学院で講座をとって、悲嘆(グリーフ)について勉強しました!
柴:そこまで話を聞くと、だったらなぜ今ホスピスで働いていないのかなって思っちゃいます(笑)
新:そこには理由があって。そのセントクリストファーホスピスでは、終末期だけでなく、健康増進や予防という視点でコミュニティーを活性化する動きが始まっていて、大学院の研究も近しい論文が出ていた。
留学中ホスピスにどっぷり浸かるうちに、死にゆく時ではなく、もっと元気な時から苦しみを抱えて生きていかないといけない時に支援することに興味が移ったの。
だって人生最期になって心に根深く残る問題ってそう簡単に解決できないし、誰だって何かしらのしがらみを抱えながら生きるのが人間ってもんじゃない。終末期になる前に、少しでも心の痛みを緩和できるような支援をしたいと思って。
で、ホスピスの理念が大好きな私にとって、誰も見捨てない支援を考えるためには、まず生活保護等を受給している方々や医療や福祉につながらない方々と出会う必要があると考えたの。それが、ちょうど、行政保健師の仕事だったわけよ~。
柴:なるほど、留学を通じて自分の進路を大きく変えたわけですね。
新:そう。帰国して1週間しか勉強時間なかったけど、なんとか合格もできて。これも縁なのかなって思ってるんだ。職場では家族のように温かく迎えてもらえて、嬉し涙を何回も流したよ。
壮絶な人生を目の前にして、感情を揺さぶられることもあるけれど、そういう人生もあっていいんだなとケースのみなさんから色々と学んでいます。そんなこんなで今まで保健師を続けてるんだよね。
柴:なんだか紆余曲折を経てますけど、すごくしっくりくるお話ですね。ディープな話を含めて色々赤裸々にありがとうございます。最後に、よろしければこの読者にメッセージをお願いします。
新:え、メッセージ。そんなこと久しぶりに求められたかも。うーん、感受性豊かで頑固のせいか、私の人生って本当に失敗だらけなんだ。私が求めていなくても冒険が待っている感じ…(笑)
でもね、失敗の先って、別に悪いことばかりでもないんだなあって。受験で挫折した先で見つけたホスピスの理念、そこから色んな出会いに導かれてたどり着いた先が、首都圏の下町の行政保健師という仕事で、本当にやりたかったことに巡り合えたわけで(まあ、そう言っておきながらトラブルは尽きないけれど笑)。
要するに、どんなに頑張ってもうまくいかないことは沢山あるけれど、必ず全てつながっている気がするんです。失ったからこそ、出会えたものや気づけたこともきっとあるはずで、それらは誰にも奪われない人生の宝なんだと思います。
あと、たぶん、各々、果たせるはずのものを与えらえていて「自分の行くべき道」については、面白いくらいうまくいくものなのかなと思います。
だから、その道にたどり着くまでに、どんなに辛くても、肩の力を抜いて自信もって、目の前のことに全力を尽くしてくださいって伝えたい!その間、支えてくれる人たちへの感謝の気持ちも忘れないようにして!
柴:酸いも甘いも嚙み分けるさえさんらしい一言ですね!本当にありがとうございました。では、また世界のどこかで!